キョウ

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檸檬色の独り言

こんにちは。部長……ではありません。本日は「前」部長がお送り致します。趣味は節約と睡眠と美術館巡り、好きな作品は長野まゆみ作品とリン・フルエリンのナイトランナーシリーズ、好きな四字熟語は合縁奇縁です。どうぞよしなに。とは言っても、同好会のブログは初めてなので、何から書けばいいのやら。ひとまず、まったり高村光太郎の詩集「智恵子抄」の話でも淡々と書こうかと思います。高村光太郎といえば詩人でありながら「乙女の像」や「手」でも有名な彫刻家ですね。特に「手」は中学・高校の美術の教科書で見た!という人もいるかもしれません。妻である高村智恵子も芸術家で、絵画や紙絵などを制作していました。有名なものは、平塚らいてうが主となって発行された女性のための雑誌「青鞜」の創刊号の表紙でしょうか。これも日本史の教科書でよく画像が載せられていますね。あの黄色と黒で描かれたあの絵です。この詩集「智恵子抄」は名前の通り、妻の智恵子に関する詩や短歌を収めた詩集です。時期で言えば、二人が結婚する以前から光太郎の晩年まで。智恵子が亡くなった後も、光太郎は妻を想い続け、詩を綴っていたのです。(因みにタイトルの檸檬について。智恵子が亡くなった際に書かれた詩「レモン哀歌」から取っています。蛇足ですが、10月5日の「レモンの日」は、智恵子の命日から来ています。)個人的に印象深い作品は「風に乗る智恵子」。父の死や実家の破算、絵画制作のスランプなどから心労が重なり、智恵子は統合失調症となってしまい、果てには自殺未遂まで追い込まれてしまいます。そんな智恵子の療養のために、光太郎は智恵子と共に東北や、千葉県九十九里を訪れていました。「風に乗る智恵子」は九十九里滞在の際に綴られた詩です。『尾長や千鳥が智恵子の友だち』『もう人間であることをやめた智恵子に 恐ろしくきれいな朝の天空は絶好の遊歩場』……といった具合で、光太郎は智恵子の姿を綴っています。最愛の妻が心の病に冒されてしまうのは、悲しくてとても苦しい筈。けれど同時に、俗世の嘆きや憂いから離れた、ある意味で「無垢」な存在となった智恵子に、光太郎は一種の「純粋」「美しさ」を見出していたのでしょう。そうでなければ、病の妻を前に、こんなにも爽やかな詩は書けない。自分はそう思います。深く、それでいて爽やかな愛情の籠った詩の数々。それは大正・昭和が男尊女卑が未だ根強く、親が結婚相手を決めることが当たり前だった時代とは思えないほど。「智恵子抄」は青空文庫で無料で読むことができます。もし気になったら是非読んでみてください。