文化祭と同時期開催!【お題交換企画】

文芸同好会で新たに設立された企画【お題交換】!

下記の概要にある「お題」「プロット」「本文」の作成をそれぞれ分けて担当する、という試みの企画となります!今回は同好会の二名にご参加いただきました!

概要の下にそれぞれの作品を公開しますので、楽しんでいただけましたら幸いです!



【企画概要】

《お題で記載すること》

・登場人物の詳細

・大まかな物語の流れ


《プロット》

・お題から構想した物語の設計図

・誰が書いても伝わるようにわかりやすく

・台詞など多少の改変がある場合はお題担当と要相談


《本文》

・プロットを見て自分なりの表現で物語を書く

・台詞など多少の改変がある場合はプロット担当と要相談





『誰のための小説』/天野蒼空


記憶の中にある母さんは、いつもボサボサの髪で右手にはタバコを持っていた。人生初のお使いがセブンスターのボックスで、お店の人に言っても買わせてもらえなかったのを今でも覚えている。

白く淀んだ空気が満ちる家の隅で、僕はいつも図書館で借りてきた本を読んでいた。それがゲームも漫画も買ってもらえなかった僕に与えられた唯一の娯楽だったからだ。でも、悪いものばかりじゃなかった。知らないことを知ることは楽しかったし、なにより本は僕のことを知らない世界に連れて行ってくれるからだ。

小学生になって、テストというものを学校でした。知っていることを紙に書き出すだけの簡単なそれは、赤い丸でいっぱいになって返却された。

「母さん、今日、先生に褒められたよ」

僕がそう言ってみせた紙切れは、翌日、グシャグシャに丸められてゴミ箱の中に捨てられていた。

その頃には母さんが家にいることは少なくなっていた。話をしても曖昧な返事が返ってくるだけか、無視されるだけだった。財布からこっそりお札を抜いて、食べるものを買った。電気と水道が止まらなかった分だけまだ良かったのかもしれない。でも、いつか母さんが僕のことを認めてくれる日がきっと来る。そうしたら僕と話してくれる。僕はずっと信じていた。

「作文コンクールに桃井海鈴くんの作品が入賞しました」

そう全校集会で表彰されたのは、六年生のときだった。皆に拍手され、校長先生から表彰状と作品が載っている文集を手渡された。

スキップで家に帰る。皆が拍手してくれた。これならきっと母さんも……。

でも、母さんはその日、帰ってこなかった。時計の針と針がてっぺんで重なるところまで、頑張って起きていたけれど母さんには会えなかった。

翌日、学校から帰ってくると珍しく料理をした跡があった。お昼に帰ってきた母さんが袋麺を茹でだのだろう。机の上に置かれている片手鍋の下敷きになっているものを見て、僕は膝から崩れ落ちた。白くて、二センチくらいの厚さがあって、表紙にひまわりの絵が描かれているそれは、間違いなく僕が昨日校長先生から手渡された文集だった。

僕はたまらなくなって家を飛び出した。

走って、走って、走って……。

*****

「海鈴先輩、海鈴先輩ってば。いつまで寝ているんですか?」

ゆっくり目を開けるとそこは教室の中だった。窓の外には綿あめみたいな柔らかそうな雲がいくつか浮かんでいて、冷たい風が薄緑色のカーテンを熱帯魚のしっぽみたいに揺らす。規則正しく並べられた机が床に長い影を落としていた。

「なんだ、陽愛か」

一つ年下の陽愛が俺の横に立っていた。高い位置に結ばれている焦げ茶色の髪がふわりと揺れる。両手を腰に当てていかにも「怒っています」と言いたげだが、幼馴染の俺にはそんなポーズじゃ通用しない。

「なんだ、じゃないよ。新聞部の校閲係の仕事が忙しいのは分かります。でも、今は文芸同好会の活動中なんですってば」

「悪い」

「別に気にすることでない、陽愛ちゃん。もう一回言えばいいことなんだから」

胸のあたりまで黒くて真っ直ぐな髪を伸ばしている、おとなしそうなこの女子生徒は部長で三年生の明莉先輩だ。でも、この見た目に騙されてはいけない。この人の中身は攻撃的で怖い、悪魔みたいなところがある人なんだから。

「で、聞いていなかった海鈴のためにもう一度言うが、今後の活動方針は特に変更なし、だ」

「変わらないならもったいぶらないでくれませんか」

「まあ、いいじゃないか。それと、な」

少しだけ明莉先輩の表情が曇る。が、すぐにいつものような笑顔に戻った。

「私はこのへんで引退しようかと思う」

「せ、先輩、そんな事言わないでください~」

すぐに泣きそうな顔をする陽愛の頭を先輩はよしよし、とでもいうかのように撫でた。

「受験だしな。小説を書くのをやめるには丁度いいんだ」

「そうですか。先輩がそう決めたのならいいんじゃないですか」

そう言って僕は席を立った。

「ちょっと海鈴先輩、それは酷いですよ!」

陽愛の声を背中に聞きながらそのまま教室を出る。

「伝えたい人に伝わらなかったら意味はないんだから、それを諦めるのも手段のひとつなのかもしれないな」

僕のつぶやきは秋の冷えた空気に溶けて消えていった。

あれから一ヶ月が経った。

部室に来ない先輩のことを陽愛は心配しているようだったが、心配する暇があれば作品を書いたらいいと言ったら怒られた。しかし、そういった翌日、陽愛はとんでもないことを言い出した。

「作品集を作りましょう」

「部誌ならいつも作っているじゃないか」

「そうじゃないです。テーマを決めて書いたものを纏めてみたらどうかな、と思いまして」

「別にいいけれど、テーマって何にするんだ?」

「それは決めていますよ。『感謝』です。ちなみにわかりやすいように『ありがとう』という言葉を作中に入れることがルールです」

「ありがとう、ね」

感謝を作品になんて、どうやって書いたらいいのだろうか。まるで見当がつかない。ただ、「いいよ」と言ってしまったものだ。引き下がるわけにはいかなかった。

明日には書こう、そう思った日が何度も続いた。今日なら書けそうだ、そう思った日が何度も続いた。気がついたら部室にいくことができなくなっていた。いつも作品を書き溜めているノートを開くこともできなくなっていた。

感謝なんて誰にしたらいいかわからない。ありがとうなんて誰に言ったらいいのかわからない。

一般的には家族に言うのだろうか。

でも、母さんに感謝なんてできない。見も知らない父さんにも出来ない。

なら、読んでくれる人だろうか。

いや、なんだかそれも違うような気がした。

「感謝っていったいなんだろうな」

休日の朝だというのに、気がついたら陽愛にメッセージを送っていた。自分でもなんで送ろうと思ったのかわからない。慌てて送信を取り消そうとしたが、すでに遅かった。

「海鈴先輩、大丈夫ですか」

ぽん、と軽い音がして陽愛からのメッセージが表示される。

「海鈴先輩は海に行ったことありますか」

「突然だな」

「先輩だって、突然でしたよ。それで、海です」

「行ったことないよ。俺の家、知っているだろ」

「私、思いつかなくなると海に行くんです。学校とは逆方向の電車に乗って、青い海を見に行くんです」

「こんな寒い時期にか?」

「こんな時期だからこそ、ですよ」

ポケットに財布とスマホを突っ込んだ。そのままパーカーを一枚羽織った。それからスニーカーに足を突っ込んだ。

それから僕は駅に向かった。

学校に行く方向とは逆方向の電車に乗る。

タタン、タタン。タタン、タタン。

高いビルが段々と低くなっていき、田んぼが目立つようになってきた。空が広くなってきて、建物が少なくなってきた。

終点の駅のホームに立つと、ほんのりと磯の香りがした。波の音に誘われるように一歩ずつ足をすすめる。

そして階段のその先に海が広がっているのを僕は見た。コンクリートの防波堤の向こう側は青と青がひろがっていた。どこまでも、どこまでも続いていく広い青が、僕の心と体を包み込んでいた。白い波が静かに行ったり来たりする。冷たい潮風が僕の頬を撫でる。

すべてが、青に溶けていった。悩みも、声も。もしかしたら僕の存在も。

「クークー」

カモメが鳴く。

手を伸ばせばその手のひらの中に収まってしまいそう。でも、そんなはずはなくって。僕の手のはるか上を白い翼で飛び回る。

「クークー」

カモメが鳴く。

ふと、先輩が昔書いていた小説を思い出す。透き通るような、先輩らしい文章のその小説は確か大会でも入賞していた。でも、あのときの先輩は嬉しそうじゃなかった。悲しそうで、つらそうだった。

何かが繋がったような気がした。

「ああ、ありがとう」

僕は駅の方へ回れ右をした。

*****

「ついに出来上がりましたよ!」

弾けそうな笑顔で陽愛が教室の中に飛び込んでくる。その手に握られているのは白い冊子。表紙にはひまわりの絵が描かれている。

「なんでひまわりの絵にしたんだよ」

昔のことがふと頭をよぎる。『感謝』だとか『ありがとう』なんてものをお題にしたのに、先輩に読んでもらえなかったらどうしようか。また鍋敷きにでもされてしまうのではないか。タバコの匂いがして、目の前が少し白く霞む。

読んでもらえない作品になんて、意味はない。

ひまわりの絵は呪いのように僕に語りかける。

「だって、ひまわりって明莉先輩みたいじゃないですか。ほら、渡しに行きますよ」

三年生の教室の前はピリピリとした空気で満ちていた。なのに、陽愛ときたら先輩を見つけるとブンブンと大きく手を振り出した。

「場所、変えようか」

先輩の口から出てきたのは予想通りの言葉だった。

いつも部活をしている教室のなかで、陽愛は先輩に作品集を手渡した。

「これは、どうしたんだい?」

「わたしたちで作ったんです」

「そうか、頑張ったね」

先輩の視線が僕にぶつかる。

「まあ、好きにしたらいいんじゃないですか」

「そうかい。じゃあ、好きにしようかな」

そう言って先輩はかばんにそれを仕舞おうとした。

「捨てるんですか」

僕の口からこぼれた言葉は、出るはずのないと思っていた言葉だった。

「信用ならないならここで読んでいくよ」

先輩の細くて白い指がページを捲る。

まずは陽愛の作品。それから僕の作品。

ピンと張り詰めた空気が嫌になって、僕はそっと廊下に出た。何をするわけでもない。ただ、窓の向こうのビルが立ち並んで狭くなった空を、ぼうっと眺めていた。

教室の中からすすり泣きが聞こえる。先輩だろうか。

しばらくして、目を真っ赤に腫れさせた先輩が教室の中から出てきた。

「私、小説を書き続けるよ。今じゃ部誌にしなくたって、インターネットでも作品の公開ができるからね。それにさ、私の悩みなんてさ、ほんのちっぽけなものだったみたいだよ」

「伝わりましたか」

何が、とは言わなかった。言わなくてもきっと伝わるって信じていたから。

「伝わったよ。ありがとう」

これで良かったのだろうか。自分ではわからない。

でも、読んでもらえる作品だったんだ。伝えられる作品だったんだ。

それだけで十分だった。

*****

「桃井先生、明日のサイン会のことなのですが」

電話先の編集部の人の声を聞きながら僕はカレンダーにメモを取っていた。少し大きな文庫の新人賞を取ることが出来た僕は、大学生活を送りながら作家としても活動していた。

「それではよろしくおねがいします」

電話を切ると、その横に貼っていた写真が目に入る。

先輩の卒業式に撮った、僕と先輩と陽愛の写っている写真だ。なんだかあの頃が懐かしい。でもきっと、あの頃の僕が居なくちゃいまの僕はいないから。

僕は仕事用のパソコンの前に座った。

さあ、次は何を読者に届けようか。




『田舎のお祭り』/月夜


初めて会ったとき、綺麗な人だと思った。思えば初恋だったんだと思う。そばにいたくて努力した日々は、苦しい思いよりも楽しさが勝っていた。

ずっと一緒にいられる。そう強く信じていた。けれどそれが覆るなんて、小さくて幼い俺は知らなかった。

 ルカは花火会場から離れたところでぼんやりと人が動くのを見ていた。

 今日はお祭りの日。田舎であるこの町ではお祭りはかなり派手に開催される。この辺りの人々のほとんど全員が参加するほどの大きなお祭りだ。

 大太鼓と笛の音が楽しげに主張している。夏も終わりに差し掛かる九月、他の地域と比べて遅めに開催されるお祭りには、とあるジンクスが存在する。だが、今はそれに触れないでおこう。

 さて、ルカはこのお祭りに参加するのが最後であることを知っていた。明日、引っ越すのだ。

 ここではない遠い町。行ったこともなければ見たこともない町。今とはだいぶ生活も変わると両親から聞いている。

家から電車に乗って一時間かけて学校へ行く。周りには山しかなくて、人よりも野性動物の方が多い。夜は熊避けの笛を持たないといけないし、この町よりも夜は暗いので、懐中電灯も必須。

 聞いただけで鬱になりそうな場所へ行かねばならない。本当は駄々を捏ねたかったが、年齢もあってかそれもできず、せめてもの願いとしてリンとお祭りに行く許可を厳しいリンの親からもぎ取った。

 だから今日は幼馴染のリンとお祭りをまわることができる最初で最後のチャンスだった。

 そこへ、カラコロ、と駆けてくる度に聞こえる音と涼しげなシャラリとした音が近付いてくる。

「ごめん、待った?」

「待ってないよ」

 振り返れば、そこに待ち合わせ相手は居た。長い金髪をお団子にしてかんざしでとめている。ひょこっと出ている短い金髪が未だに生ぬるい風に揺れている。かんざしの流れ星のような飾りは半分くらい透明で、お祭り特有のオレンジの光を受けて柔らかな光を反射させている。

 目元にはアイラインが引かれ、薄くほどこされたチークやグロスはリンにとても似合っていた。大きな目は吸い込まれるほど綺麗な青で、例えるならば澄みきった晴れた日の青空のよう。オレンジの光とは相性があまりよくなく白っぽく見えるが、俺はそれで良いと思う。リンの綺麗な瞳の色など、他の人は知らなくていいのだ。

 着ている浴衣もとてもかわいらしい。薄いピンクの無地に黄色の帯。シンプルなのにそれがよく似合っている。花などの模様があるのもかわいいと思うけれど、それじゃなくて良かった。帯のリボンが動く度に小さく揺れる。

 期待がいっぱいこめられ、輝いている瞳を見れば、強引にでも許可をとって良かったと思った。

 高校に上がってから彼女はより綺麗になった。普段見せる幼い顔と、今の大人っぽいメイクのリンは、良い意味でギャップがあって、男としては心に来るものがある。しかし、ルカはそれらの普通の男なら持つであろう劣情をいっさい顔に出さなかった。リンがルカを男としては意識することはこの先、何があっても絶対にない。

「どう?」

「……行こっか。いっぱい面白いものがあるから」

「……うん」

ルカが行く先を示せばリンは思い出したようにパアッと顔を輝かせた。そして駆け出す。流れ星がルカの横を過ぎていった。掴めそうなほど近い距離。無意識に伸ばしかけた手を、ルカは慌てて引っ込めた。

 リンは望んでいない。ルカの目から見ても、リンはルカのことを対象外としていた。最後まで、リンの望む『ルカ』であろうとルカは決意したのだ。悟らせてはならない。

 ルカはぐっと握り拳を作ってリンを追いかけた。

 露店をはしゃいで見てまわるリンの半歩後ろをルカはついて歩いた。

 ジャンキーな匂いとお酒の香りが混ざった会場は嫌になるほどむわっとしていて汗臭く感じてしまう。いくら今が夏も終わりにさしかかった頃と言っても、未だ暑い日が続いているのだ。

「あのね、今日、お母さまが外出を許してくれたの!毎年、ここでやっているお祭りを部屋で見ているだけだったから、とっても嬉しい!」

「そう」

「ルカは? 中学最後だよね?」

「まあ、そうだね」

 はしゃぐリンは物珍しげに屋台を見る。半歩後ろにいるだけのルカに熱心に声をかけ続けていた。リンは次から次へと質問を投げては二言三言しか返さないルカを何とも思っていないようだ。昔から無愛想であまり話さなかったことがここにきていかされた。

「高校は決まった? ルカは頭が良いから何処でも行けるよね」

「まだ悩んでいるよ」

「そうなの? 何かあったら相談してね? ルカのためなら一肌も二肌も脱いじゃうよ!」

「うん、ありがとう」

 ルカは静かに視線を落とした。リンと同じところに進学したかったが、ルカの学力的には余裕でも、通学時間的に問題があった。ルカが悩んでいるのは引っ越し先の高校だった。しかし、それはリンには相談ができなかった。

「ルカのオススメの食べ物とかない? あっ、あれはなに?」

 リンがパタパタと駆けていく。ルカが追いかければアメリカンドッグを見ているリンがいた。

「アメリカンドッグ。ジャンクフードだね」

「おじさん、一つくださーい」

ルカの省略しすぎた説明を聞いても何も分からなかったので買うことにしたらしいリンがお財布からお金を出してアメリカンドッグを受け取る。お好みでケチャップやマスタードをかけられるが、リンはケチャップだけをかけた。

「美味しい!」

 大人っぽいメイクが崩れて年相応のかわいい女子高生が姿を現す。星が弾けるような目映い光を目元から溢して笑う。

「ルカ、あれは? あっちは?」

 リンはアメリカンドッグを食べながら次から次へと屋台の食べ物を指差していく。シャカシャカポテト、ケバブ、チョコバナナ、お好み焼き、焼きそば、次から次へと買っては食べる。ルカがリンから受け取るのは食べ終えたゴミばかりだった。ゴミ箱はかなり設置されているのでゴミが溜まることはなかった。

「そんな食べると太るよ」

 ルカは呆れながらそう言った。リンは意外とたくさん食べる。その細い身体のどこに行ったのか、ルカはずっと昔から謎だった。

「初めてだから仕方ないでしょ?」

「仕方ないのレベルを越えていると思うけど」

ルカがじとっとした目で見るからか、リンはむうっと頬を膨らませた。それがリスみたいでかわいらしい。それから、胸に抱えていた紙袋を見るといたずらっ子のように目を輝かせた。ルカは嫌な予感がして何を言われるかに備えた。

「じゃあルカも食べちゃえ……☆」

 リンは紙袋から指でつまんで取り出したベビーカステラをルカの口の中に捩じ込む。リンの指先がルカの唇に触れたものの、リンは何とも思っていない。ルカは昔からのことなので気にしていない風を装っているものの、本当は気にしていた。

「これで共犯だね」

 微笑んで首を傾げる様はかわいい。金色の髪が鎖骨に落ちる。蒼い目と視線が交わる。

「……そうだね」

 やっとの思いで絞り出した言葉は、騒がしい声の中に消えてしまった。

「ふふっ……、やっぱり良いね」

 リンはそれだけ言うと再び屋台を見ていく。ルカは自身の唾液ですっかり湿ってしまったベビーカステラに歯を立てて二つに分けると飲み込んだ。

「あっ、リンゴ飴! ルカ、好きだったよね?」

 十年近く前のお祭りの時、ルカはリンゴ飴だけをリンのいる部屋まで届けたことがある。リンの両親からはこっぴどく怒られたものの、リンがかばってくれたから、ルカとしてはどうってことはなかった。

「覚えていたんだ」

「当たり前じゃない」

 あの頃のリンは学校以外にはずっと家にいて、家に軟禁状態のようだった。たくさんの習い事をこなして、家に縛られていた。幼いルカはそんな事情なんか全く知らず、リンを遊びに誘い出した。家から出られないと言うので広い庭で遊んだ。始めは嫌そうな顔をしてルカのことを怒っていたリンの両親も、徐々にルカの持つ植物や動物の知識量の多さを認め、ルカをリンの遊び相手として認めたのだった。

 それからだ。それからずっとルカはリンにとっての唯一だった。リンが中学に進学した時も、マナーを教えたのはルカだった。

 中学に上がったリンは徒歩で通っていたので、時間を合わせて送り迎えをした。不埒な輩は早めに潰した。リンが楽しく学校生活を送れるように信頼できる人にリンのことを任せ、一年もの長い間、我慢した。

 中学に進学したルカは部活には入らないでリンの護衛に徹した。リンをいやらしい目で見る男の先輩たちは弱味を握って近づかせなかったし、リンをいじめようとしていた人たちは事前に掴んだ情報でルカの手のひらの上で踊らせておいた。リンに指一本触れさせていない。高校に上がってからはルカはあまり介入していないが、リンの周辺は洗ってある。不審な人は居なかったので、とりあえず安心している。

 そして今、離れる。

 ……めちゃくちゃ悲しくて寂しくて、ルカはリンからイチゴ飴を受け取ってしまったことにも気付かなかった。リンはリンゴ飴にかぶりついた。ルカも同じようにしようとして、飴が小さいことにようやく気付いた。リンゴ飴だと思っていたのでかなりショックだった。

「イチゴ飴……」

「そう。美味しそうだったから。あ、もしかしてルカ、リンゴ飴が良かった?」

 ーー食べかけだけど、いる?

 リンはリンゴ飴をこちらに向けた。リンの食べかけのリンゴ飴。ルカはそれにかぶりついた。

 間接キス、なんてロマンチックなものではない。意識しているのはどうせ自分だけ。ルカは何度もそう言い聞かせて、悔し紛れにペロリと飴をなめた。

「イチゴも食べてみたい」

 ルカの右手にあったイチゴ飴を見ながらのおねだりは率直に言えばかわいかった。ルカはイチゴ飴を少し傾ける。リンはイチゴにかぶりついた。ルカが一口も食べていないイチゴ飴に。

「あっ、イチゴも美味しい!」

 頬を赤く染めて言ったリンは幸せそうだった。ルカはズキリと胸が痛くなった。

「そうそう、あのね、ノノちゃんがこの前、パフェ食べに行ったらしくてーー」

「めいちゃんが大会で一位をとってーー」

「ゆきちゃんがクラスの子と付き合い始めたんだってーー」

 高校の友達のことを話しながら歩くリンの声はハッキリ聞こえているが、周りの喧騒の方が煩かった。だからこそルカは聞こえていないフリをした。リンはルカが聞いていないことに気付いた(もちろんそれはフリだけど)。

「今までずっと一緒だったけど、こういうのって新鮮だよね」

高校の友達のことだけ話していたリンは、突然全く違うことを言い出した。ルカはリンの方を見て思わず後悔した。リンは高校の友達のことを話しているときと全く同じ、下手したら弟でも見るような慈愛に満ちた目をしていた。

「なんだか夢みたいで……。ずっとこうやって賑やかに過ごしたいな」

 ルカは前を向いた。そう来ると分かっていた。リンは賑やかなものが好きだ。だからあの日、部屋の窓に張り付いて騒がしい外を眺めていたのだから。

「あっ、そろそろ?」

 リンが指差した先には花火会場があった。ルカはうなずく。

「はぐれないように」

 リンはそう言ってルカに手を差し出す。ルカは少しの間、リンの手を見ていた。そしてその手をとった。リンがふわりと笑った。

 昔とは逆だな、なんてルカは思う。昔は広い庭で迷子になることもあったからルカがリンの手を引いていた。あのとき泣きそうになりながらもルカといる安心で笑みを浮かべていた小さなリンは今、人ごみを上手くかわしながら目的地へと向かっている。

大きくなったなあ、なんて感想は少しの寂しさを連れてきた。もう手を引かなくても大丈夫なくらい、リンは強くなった。

 でも、今だけはーー。幼いあのときのリンでいてーー。

 神社の階段にはたくさんの人がいた。高い方がよく見えるが、神社の方には人がいっぱいだろう。

 ルカはリンが足を止めたのを見て、小さく決意する。こんなところよりも綺麗に見えるところがある。

「こっち」

 手を引くとリンは素直についてきた。毎年、花火を見るならば行く、とっておきの秘密の場所がある。ルカしか知らない秘密の場所。

 神社の階段は途中で休めるようなところがある。そこにも人はいっぱいだ。ルカはそこを横切り、奥へと進む。奥は林のようになっていて、慣れていない人ならば迷うことは確実だ。

 ルカは迷うことなく真っ直ぐ進む。やがて足を止めたルカの前に、木にかけられた縄ばしごがあった。

「これは?」

「俺のとっておきの場所への入り口」

 ルカはそう言って縄ばしごをのぼっていった。下を見れば、リンは迷っているようだった。せっかくの浴衣が汚れることを懸念しているのだろう。

「大丈夫だから。ーーおいで」

 手をさしのべればリンは断れない。それは確実だった。リンはそうっと縄ばしごに足をかけてのぼってきた。

 先に上がって準備を終えておいた。ここは目立たないツリーハウス。過去に作っておいた、ルカの自慢の隠れ家だった。

「ツリー、ハウス?」

「そう。俺の自慢の、ね」

 リンは目を輝かせている。ルカはここに色々なものを持ち込んでいた。非常食やカッパ、ランプなどはもちろん、縄ばしごの予備やロープ、薪など普通は必要なさそうなものまでも。それらの中からレジャーシートを取り出すと敷いた。リンはそこに座らせた。

 雨を避け、虫の侵入も防ぎ、安定感のある場所へツリーハウスを作ることは難しい。ルカにとっては試行錯誤を繰り返した楽しい思い出だが、リンは知らなくて良い。

「窓、開けるね」

 窓へと近付いて開ければ、ちょうど綺麗な夜空が見えた。持ち込んだ時計を見れば、そろそろ花火の時間だった。

ヒュ~~……、ドン、パラパラ……。

「うわぁ……!」

 花火が上がり始めた。リンは身を乗り出す。ルカは仕方なくレジャーシートを窓の近くまで引いた。

「ありがと」

 花火は次から次へと上がっていく。花火の光が入ってリンの蒼い目が色付く。赤やオレンジが加わったリンの蒼は、花畑の真ん中に寝転んだかのようだった。

「そう言えばさ、この花火にジンクスあるの知ってる?」

 リンは花火から視線を反らさずにそう言った。ルカは横目でリンを見た。

「中盤にある、連続花火。あれで願い事をすると叶うんだって」

「あぁ……、あれね」

 知っているけれどそれはあくまで迷信のようなものだった。本当に叶ったのかなんてルカは知らない。そもそも、願い事の大半は努力でどうとでもなるだろう。

「ルカは何か願うの?」

「……さあ?」

 ルカはわざとはぐらかした。

 叶えたい願いはあった。でも、今は叶わなくて良いと願っている。リンに悟られることなく、今日が終わってくれれば、それで良かった。それはルカの願いでもあったが、ジンクスにかけてまで願うことではなかった。

「そういうリンは?」

「私? 私は、みんなの願いが叶うならそれで良いかな」

 ツリーハウスから見える範囲の人たちが花火に見惚れている。けれど、ルカはリンに見惚れていた。

「あっ、みんな願い事している……!」

 どうやら中盤になったようだ。ツリーハウスから見える範囲の人たちが願い事をしている様がよく見えた。ルカは身を乗り出すリンが落ちないようにその小さな手を掴んだ。

 目を輝かせて見ているその横顔は綺麗で、やっぱり好きだなあ、と思った。言わないと決めたのに揺らぎそうだ。

 ルカは唇を小さく噛んだ。リンが自分をそうは見ないと何度も頭で言い続ける。自分の想いに理性で勢いよく蓋をした。リンの幼馴染で終わろう。

 ドォン、ドォン、パラパラ……。

「ーー似合ってたよ」

 聞こえないだろうとこぼした言葉は花火の中に小さく溶けた。

 リンがルカを振り返る。そしてリンが笑みを浮かべる。綺麗な綺麗な無邪気な笑み。リンの手がゆっくり伸びてきて、ルカの頬にそっと触れる。持ち上げられると思ったが、それはなく、ふにふにと触られる。それでようやく自分が笑っていたことを察した。

「また来年も一緒に来ようね」

「……ああ」

 リンの向こうで花火が虚しいほど鮮やかに綺麗に咲いて、そうして、ゆっくりと名残を残して消えていった。

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聖徳大学 文芸研究同好会

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