【リレー小説】FINE トイレの花子さん

こんにちは。文芸研究同好会です。

部員が決まった文字数で回して書くリレー小説です。

以下に第1話を公開いたしますので、ご笑覧くださいませ。

※描写はすべてフィクションです。攻撃的な意図はございません。また、作者の自由な表現を尊重しています。ご意見のある方は、文芸研究同好会までご連絡ください。



この学校には生徒会も非公認の組織活動がいくつか存在する。

例えば、茶道部によるお茶会、試験期間にのみ密かに活動する虎の巻屋に、書道部によるサインの代行……と、どれも変わり種ばかり。まぁ実の所、その大体は署名が集められなかった部員二名以下の部活が、勝手にそう名乗っているだけなんだけど。

そしてその中でも知る人ぞ知る、救世主的部活が存在する。

「……そう。それこそがオレたち美術部なのだよ!メガネ君」

「はぁ」

重厚な木製扉の横に立つ彼からは「知ってますけど」と白い目を向けられているけれど、それには気付かないふりをして続ける。

表の顔はただの美術部員、裏の顔は相談屋さん。と、言ってもオレたちは年に二回、作品を提出するだけだから実質メインの活動は裏の方ってことになる。

落し物の捜索から、喧嘩の仲裁まで。時には別れさせ屋なんてのもお手のもの。

対価によっちゃなんでも解決してみせるのがうちの主な活動。

「それで?僕らになにか解決して欲しいことが?」

オレが揚々と語りながらこれまでに貰った『対価』のコレクションを披露し始めようとすると、副部長の椿が遮ってメガネ君に話の詳細を促す。オレらのお決まりの流れ。

メガネ君が改まってコホン、と咳払いをひとつすると、椿はキャンバスから顔を上げて傾聴の態勢になる。俺も椿に倣って椅子に深く座り直す。

「はい。お二人はご存知ですか?この学校に存在する七不思議のこと」

「七不思議?一般的によく聞く、ひとりでに鳴りだす音楽室のピアノとか、トイレの花子さんなら知っているけど」

「そう、その花子さんです。今この学校でかなりの騒ぎになっているんですよ」

「騒ぎ〜?高校生にもなって七不思議が?」

「たしかに変だな。本当に『出た』って言うならまだしも……」

メガネ君があまりに真剣な顔つきで、如何にもオカルトチックな事を言い出すから、俺も椿も堪らず口を挟む。

「……」

「っえ、メガネ君まさか、」

すると、メガネ君はきょろきょろと辺りを見回し、声を潜めて「内緒ですよ」と前置きをする。

「もしも、花子さんを見たって言ったら、信じてくれますか?」

「……いやいやいや」

それまで真剣に聞いていた椿も困ったような笑みを浮かべている。

「メガネ君、折角来てくれたのにアレだけど、オレたちもさすがにその手の悪戯には引っかからないよ」

「なっ、違いますって!」

メガネ君は手をブンブンと振って、「そんな時間を無駄にするようなこと、するわけないじゃないですか」と顔を赤くする。

「もしそれが事実だとしたら、その花子さんとやらが男子トイレに入ったのか、メガネ君が女子トイレに入ったもしくは覗いたのかの二択になってくるんだが」

そこまで言うとメガネ君は「うぐぅ、」と言葉を詰まらせる。

確かに、花子さんといえば『女子トイレの三番目』が有名だ。たまたま見えたにしては、結構奥の方まで覗く必要がある。

「一理あるな。メガネ君、どこで花子さん見たの?」

「男子トイレ……ですけど、彼女は幽霊なんだから法も何もないじゃないですか」

「う〜ん、花子さんが覗きパターンかぁ」

「聞いてます?」

トイレという設定は守られているのに対して、女子トイレの三番目というところが守られていないなんて、結構再現性に荒いところがある。

椿も同じように考えたのか、首を傾げてなにやら考え込んでいる。

すると、怪しまれていると悟ったらしいメガネ君が、「あっ、嘘だと思ってますね?」と少し頬を膨らまして弁明を始める。

「ぼ、僕も最初は誰かが悪戯で流したデマだって思ってたんですよ。でもそれにしては目撃情報が多くて」

「目撃か。それは男子だけ?」

「はい。僕が知っている限りでは、ですが」

てっきりメガネ君の悪戯の線もあると思っていたけど、目撃情報があるなら一気に話に信憑性が増してくる。

「僕にも詳しいことは……ただ、おかしいんです」

「うん?」

「目撃者になぜか会えないんです。詳しく話を聞こうと思ったんですけど、皆しばらく欠席しているらしくて。一人 、二人なら偶然だと思ったんですが、さすがに十何人も欠席が被るものでしょうか」

十何人もの欠席者、しかももれなく彼らは花子さんを見ているときた。

なるほど……そういえばうちのクラスにも二、三人欠席している男子がいたっけなぁ。普段風邪ひいたって休んだりしないようなやつらだったから、今思えば十分様子がおかしい。

「それはたしかにおかしな話だな……」

「ちなみにその目撃者たちのことは誰から聞いたんだ?それ自体がデマだったりは」

「いえ。今お話した内容はうちで独自に得た情報を元にしているので、彼らが花子さんを見たと話していたのは確かなんですが」

「そうか……ん?『うち』?」

その妙な言い回しに違和感を覚える。

「あっ、挨拶遅れました。茶道部所属、一年の滝元といいます。うち、というのはそこで定期的に開かれるお茶会のことなんです」

「茶道部のお茶会、ね。聞いたことあるな」

茶道部の部室はオレたち美術部と同じ特別棟でも一階の、日当たりが良い教室。なんでも一部畳になっていて、和洋折衷の本格的なお茶や、用意されるお菓子、正装の可愛さが人気なんだとか。洋に関しては茶道関係あるかどうか微妙なところ。

「あぁ、あそこも生徒会非公認で何かしているらしいな」

「ええ。誰でも参加できるお茶会では、普段聞けないような色々な耳寄り情報が手に入るので、裏では情報屋として組織しているんです。お話したことは全て、僕がお茶会で聞いたものになります」

「ほぉ。つまり、メガネ君は覗き魔と盗み聞きの容疑がかかってる訳だ」

「だぁから、違いますってば」

メガネ君の頬がまた膨らんで不満を訴える。「とにかく、このままだとお二人に話した僕まで消されるかもしれません。彼らがお茶会に来

てから欠席するまでの期間はおよそ一週間、それまでに解決したいんです」

「次回のお茶会はいつだ?」

「毎週水曜に行われているので、五日後です」

「そうか……」

そうなると一週間前のお茶会が……、とブツブツ呟きながら考える素振りを見せる椿に、メガネ君は期待に満ちた眼差しを向けている。

「椿先輩なら一緒に調査、してくれますよね」

「えっ、オレはぁ?」

「先輩は何となく信用に足らないというか、笑いながら『失敗しちゃった〜』とか言いそうなので」

「一応部長なんだけど!」

「よし、わかった。このままだと男子共がうかうかトイレにも行けないし、僕たちの方でも調査してみるよ」

「本当ですか!」

あぁ、と頷くと椿を見るメガネ君の眼が一層キラキラと輝く。

まぁ別にいいんだけどね。別に。ちょっと面白くないけど。

ちぇ〜、と唇を尖らせていると、「日頃の行いのせいだな」と椿にトドメを刺される。

「対価は茶道部特製の羊羹でどうですか?結構評判いいんですよ」

「いいな。じゃあそれを合言葉にしよう」

「合言葉、ですか?」

「あぁ。急に茶道部と距離近くなったら怪しまれるだろうから、しばらくの間は何か情報が入ったら『お茶菓子の差し入れ』を口実にするんだ」

「なるほど……僕たちの間の隠語ってことですね。わかりました。差し入れなら今までも他の部活にもしていたし、違和感もないと思います」

「オレたちのクラスは二階の一番手前、二の一だからいつでも来ていいし、平日の放課後なら大抵ここにいるから」

わかりました、と律儀にノートを取り出してメモを取る。別に教室くらい何回でも教えてあげるのに。

「真面目くんなんだから」

「とりあえず五日後のお茶会には二人で参加するとして、それまでにある程度の情報を集めておきたいな」

「よっし、そうと決まればさくっと聞き込み行くとしますかぁ〜」

てきとうに指で回していた筆をキャンバスの縁に置いて、重たい腰を上げると長時間同じ体勢で座っていたからか自然と大きなあくびが漏れた。

それにしてもお茶会、なぁ。欠席している奴らも、何人かはお茶会に参加していたってことだ。今思えば野郎が参加してるお茶会って結構、視界がむさ苦しいよな。

と、どうでもいい事を考えながら彫刻に引っ掛けていたパーカーを手に取って羽織る。

部室は片付けないんですか、画材とか……と訊ねてくるメガネ君に「そんなもん後でいーの!」と返しつつ、裾を直し鞄を取って廊下に向かう。

「絶対後じゃよくないと思いますけど」

「まだ残ってるかなぁ人」

「どうだろうな。本館ならまだ明るいし人はいそうだけど」

なんてジャケットの前をきっちり留めて、キリッと澄ましている椿もなんだかんだ画材は机の上に放りっぱなしだ。これが美術部。表の顔としては生徒会公認にも関わらず、部員の減少でもうすぐで表の顔ですら非公認になりそうな部活。多分、原因はこういうところにある。

「宛てでもあるんですか?」

「花子さんを見た奴らの中に、誰にも話してない奴が一人はいると思うんだ」

「校内じゃどこで誰が聞いてるか分からない。一応考慮して学校外に呼び出した方がいいな」

「だな〜。だったら怪しまれず連れ出しやすい同学年から当たるか」

「あぁ。これは長期戦になるな」

クラスのグループラインの他にも、校外学習で別のクラスのやつとも繋がっているし、いきなり他学年に聞き回るより手っ取り早いに違いない。

「んじゃ、メガネ君は茶道部の子と、一昨日のお茶会参加者にこっそり聞き込みしといて」

「はい。何か仕入れたら『差し入れ』に行きますね」

こうして、美術部と茶道部による、『花子さん』の調査が始まった。

椿といっしょに廊下を歩いていると、なるほどトイレに向かう男子生徒は確かに孤独ではなかった。野郎が連れションなんて、世も末だな。オレは下駄箱を開け、引っ張り出したウォーキングシューズをタイル床に揃えた。自由になった足を片方ずつ突っ込んで、爪先を鳴らす。

「花子さんを見たとしても、さ。お茶会でその話を出さなきゃいいだけなんじゃないの?」

「綾。人は情報共有で社会を築く生き物だよ、生存戦略として。なにか特別なことを見聞きしたとき、誰かに話せないままでいると、……死ぬ」

「いやいや。本能に責任押し付けてどうすんの。欠席が嵩んだら卒業できないんだから、フツーに考えてそっちのほうが問題だって」

椿はなにか考えながら、滑らかな動作で靴紐を結っていた。焦れったいので鞄を持ってやる。

「まあ、綾の見立ては間違ってない。そもそもお茶会で花子さんの話題を出すことが長期欠席の契機なら、最初から開催しなきゃいいんだ。僕が滝元なら部長に打診して中止にするよ、そんな死のお茶会は」

「だよねえ。メガネ君は悪戯じゃないって主張してたけど、正直ちょっと疑わしい。目撃情報が多いっていうのも、現時点ではメガネ君から聞いただけで、オレたちにとっちゃなんの確証もない話だし」

「となると客観的事実は欠席者の増加だけか。滝元の証言を確固たるものにしたいなら、どちらにしろ、僕らはお茶会に参加したほうがいいってわけだ」

「気が乗らない?」

「別に」

そう言うと椿は音もなく立ち上がり、ジャケットの襟を整えた。「誰かから連絡あった?」などとオレに投げ掛け、歩き出してしまう。まずは鞄を受け取れよ、と思いつつ、オレは自分のスマートフォンを確認した。

「一件だけ連絡が来てる。四組の三谷(みつや)。ええと、さっき本館で事も無げに連れションしてたヤツだね」

「内容は?」

「話せることがあるかもしれない。明日の午後なら会える。だってさ」

オレは三つの条件で絞り込んだ男子生徒に似たような連絡を入れていた。条件その一、複数人でトイレに向かっていたヤツ。その二、オレが既に連絡先を所持しているヤツ。その三、お茶会なんかまるで興味がないといったツラをしているヤツ(主観)。「学校の七不思議をモチーフに絵画製作をすることになったのでリアルな話があったらぜひ聞かせてほしい」という旨の連絡で、早速返事をくれたのが、四組の三谷だったというわけだ。オレは椿に三谷とのやりとりを見せた。

「お茶会まで時間があるとはいえないし、まずは明日、三谷に会おう。鴨葱で花子さんの話が聞けるとは限らないけど。場所はどうする」

「綾。密談は料亭でするものと相場が決まってる」

「大人はね。ガキはコーヒーチェーンでいいかな」

土曜日の午後を犠牲に三谷と約束を取り付け、オレたち二人は学校をあとにした。

翌日、土曜日。オレは椿と昼飯を食ったあと、駅の近所に建つ書店で三谷を待っていた。椿が急にルノワールの画集を買ったので、美術部を満喫しているな、と関心する。同時に、ミーハーかよ、とも思う。

オレたちがペトロールの不足について議論していると後方から「待たせたな」と声がかかった。三谷だ。

「待たせたなって。ヒーローじゃないんだから」

「ごめん。言ってみたかっただけ。行くか」

挨拶もそこそこに、オレたちはカフェへ向かった。悠長に三分くらい歩き、やがて辿り着く。オレは昨日自分が提案したコーヒーチェーンの看板を見て、椿のささやかな冗談に気がついた。が、いちいちツッコミを入れるとキリがなくなるので、黙っていた。

入店後、四人用の席に通され、三人で赤いソファに腰を下ろした。椿はオレの隣、正面に三谷。ガラナとビターブレンド二杯、アップルパイを注文し、聞き込みの態勢は愈々整えられた。三谷は「七不思議のことなんだけど」と、自ら話を切り出した。

「ここで話したことは、秘密にしてくれよ。……もしも花子さんを見たって言ったら、信じてくれるか?」

オレはデジャヴを感じながら椿と目を見合わせた。人が情報共有で社会を築き、見聞きしてしまった特別なことを誰かに話さなければ死ぬ、という椿の大袈裟な言葉も、多少信じる気になる。オレは三谷に対して深く頷き、より詳細な情報を得ようとした。

「もちろん信じるよ。だって今回は、それをテーマに絵を描こうとしてるんだし」

「そうか。まあ、そんな大仰な話じゃないんだけど」

「リアルな話っていうのは往々にしてオチがつきにくいものだよ、気にすることはない」

「あのさ二人とも。俺が言うのもなんだけど、まずは男子生徒が花子さんを見たってことに驚くべきじゃないか」

「おっと、たしかにそうだ。三谷!君は、神聖なる教育機関で覗きをやったね?」

「取って付けたような疑いをかけるな。誓って、覗きなんかやってない。男子トイレで見たんだよ」

三谷は概ね正直なヤツなので、オレ自身が彼を疑う気持ちはなかった。そもそも花子さんが男子トイレに居たとしてもそれは最も重要な問題ではないのだ。

「まあ、そうだよね。三谷がそんなことをするようなヤツじゃないのはわかってる。んでもって花子さんが何トイレを選ぶかは、本人の性自認による」

「しかし、三谷が花子さんを見たと思うなら、三谷が見た花子さんはいかにも花子さん然とした花子さんだったわけだ」

「どういうこと?」

「椿が言いたいのは、その少女だか少年だかが花子さんとしてみとめられるんだったら、姿はおかっぱ頭に白いブラウスにサスペンダーつきの赤いプリーツスカートで間違いなかったのか、っていうことかと」

「ああ、そういうことか。そうだな……驚いちゃってはっきり憶えてないけど、そんな感じだったと思う」

代わる代わる挙手しながら、ガラナはオレに、コーヒーは二人に運ばれた。アップルパイは椿に。店員さんが会釈して、テーブルを去っていく。

椿は指先でフォークを立て、アップルパイに刺した。

「花子さんって、姿というよりは、話しかけたら声でリアクションがあるイメージだけど」

「どうだ、三谷。花子になんか言われたか?」

「敬称を略すと呪われそうだな。いろいろと言われたよ。でも、なんというか、自分の身になにが起きるかわからない以上、あんまり詳しく伝えたくない」

「なんか生き生きしてきたな、花子さん」

「生きてるわけじゃなさそう?」

「ううん、生きていると言っても過言ではないかな」

三谷は少し飲んだコーヒーに顔を顰めて手元のカップにミルクを注いだ。少し同情したオレは、シュガーポットの蓋を取り外して三谷に渡した。三谷はありがとうと言い、「こんな話で絵が描けるのか?」と眉を下げて笑っていた。

「いや、まだ。他にわかることがあったら教えて」

「花子さん本人のことじゃなくてもよければ」

「じゃあ、花子さんを見たときの状況とか」

「わかった。えっと、俺が花子さんを見たのは放課後だよ。一昨々日、部活が始まってからひとりでトイレに寄ったんだ、俺たち二年生の教室がある二階のトイレ。教室にペンケースを忘れてたから、それを取りに行くついでにな。あそこの男子トイレって、奥側に三個、個室があるだろ。そのとき個室のドアは全部開いてたのに、なぜか足音がしたんだ。最初は誰か居るのかと思って気に留めてなかったけど、足音は止まないし、ドアも一向に閉まらない。心配になって、奥まで歩いて、中を覗いたら」

「そこに花子さんが居たと」

「うん。花子さんが居た。けど、その瞬間に『花子さんだ!』とは思わなかったよ。どうしてこんなところに小学生が居るんだ、誰かの妹か、娘か、ってちょっと思い巡らしてから、容姿がトイレの花子さんと酷似してることに気づいたって感じで」

「自ら花子ですと名乗ったわけじゃないのか?」

「俺が思わず言っちゃったんだ、花子さん、って。そうしたら、その子は頷いた」

「で、いろいろ言われて、逃げてきたんだな」

「いろいろ言われて逃げて、部活に戻った」

オレが三谷と会話している間、椿は終始、目の前のアップルパイを減らすことに努めていた。皿が空になりフォークが置かれると、椿の指はそっとハンドルに触れる。そして、コーヒーを口に含む前に呟いた。

「三谷はサッカー部だよね」

「そうだよ」

「サッカー部なら、今日も練習があるはずだけど」椿の言及に三谷は微笑み、しおらしく言った。

「どうも具合が悪くて。来週から、学校も休むつもりなんだ」

三谷と解散し、オレは椿と適当に街を歩いた。散歩するには些か寒いが、帰るにはまだ早い。

それでも、天ぷら屋の前を通ると、腹が鳴りそうになる。

「椿。花子さん、生きてるっぽくない?」

「ああ。僕もそう思っていたところ」

「メガネ君からの差し入れがまだ無いから、確定的なことは言えないけど。まず花子さんに遭遇して、それを他者に話すことで学校を欠席するようになるのはほとんど間違いないかな」

「その欠席が花子さんからの強要なのか呪いなのかはわからないけどね。三谷は花子さんと会話したって言ってるから、前者であってくれればかなり楽だ。呪いじゃ、僕らの手に負えない」

高架下の横断歩道で赤信号に足止めされた。日が暮れてきて、建物は橙色に光っている。ガラス張りのビルなんかはあまりにギラギラしていて直視できない。街は、人の声と、車の煙と、誰もが背中を押されてしまうような社会の波のなかにあった。

「綾。もしもこの調査が途中で行き詰まったら、花子さんに会ってきてもらえないかな。……根気強く」

「ええっ、なんでオレが」

「花子さんの存在を口にすることで学校を欠席するようになるかどうかだけなら、綾が花子さんに会うことで簡単に解明できると思うんだ」

「マジで?」

「うん。僕が綾に『花子さん見た?』って聞いて、綾が花子さんに遭遇していた場合は、うんともすんとも言わなければいいんだよ。逆に、遭遇していないなら普通に否定すればいい。予め決めておけば、僕は綾の沈黙を肯定だと捉えることができる」

納得する反面、理不尽さも感じた。だが、椿の言いたいことはわからなくもない。体を張った情報収集なら椿よりもオレに適性がある。オレという尊い犠牲を払って新しい事実を手に入れれば、あとは椿が正しく考えてくれるだろうから。

「綾が現時点で考えたことはある?」

「あ、うん、それなりに。本当に心霊現象じゃなくて悪戯なら、花子さんは男子トイレに居るほうが都合いいなって」

「それは、……なんで」

「脅しを目的としてできるだけ怖い花子さんを演出するなら、個人でトイレに行く傾向がある男子を標的にするほうが効果的だと思うんだよね。恐怖が一あるとしたら、複数人でトイレに行く傾向がある女子が四人とかで花子さんに会ったとき、一人あたりの恐怖が〇・二五になっちゃう」

「なんだそのおかしな式は」

「そこは目を瞑って。とにかく花子さんを差し向けたヤツは、体験の共有を避けたかったんじゃないの。遭遇した生徒に話させないか、話した場合はひとりずつ家に閉じ込めておけば、対策されにくいから」

歩行者用信号機が青を示す。鳥の鳴く声を聞きながらオレは椿と歩を進めた。

「明日はもう日曜日か。今日はとりあえず、滝元からの差し入れを待つことにしよう」

「あのさ、……画集、重くないの?」

オレたちはデパートが立ち並ぶ大きな通りを歩き続ける。椿は目を屡叩かせながら、「重いよ」と言った。

それからいくつか連絡が来た。会って話すことは難しいけれど、メッセージで良いのならば、という人が多く、聞きたいことをまとめたリストを送った。

すぐに返事が来た人もいれば、水曜日のお茶会の頃になっても来なかった人もいる。結局のところ、それら一つ一つに目を通しながらオレは花子さんと遭遇しようとトイレに通い詰めることになった。

トイレ近いんだな、歳か?と聞かれては曖昧に笑って誤魔化した。椿はどこ吹く風だった。

「どうだった?」

「なにが」

美術室で下描きをしているフリをしながらオレは顔を上げた。あくまでポーズなので実際に描く必要はない。

椿はこの前買ったルノワールの画集をペラペラと繰りながら眺めていた。どうやら気に入っているらしい。椿は少しだけ顔を上げた。しかし、すぐに画集に視線を戻してしまう。

「花子さんだよ」

「それが全然。タイミングが悪いんかなぁ?」

集まった情報を元に頻出する時間を狙っているのだが、一度として会わない。まあ、焦りは禁物だ。焦れば全てが上手くいかなくなる。

「お茶会は明日だけど」

「そうなんだよなぁ。……まあ、どうにかなるっしょ?」

「テキトーだな」

テキトーじゃないオレはオレじゃなくない?なんて椿に文句を言おうと口を開きかけた。

「失礼します」

そこへメガネ君がやって来た。手には紙袋を持っていた。それが建前上の差し入れだろう。茶道部は頻繁に色々なところへ差し入れをするから怪しまれない、というのは本当だったようだ。

「差し入れに来ました」

「おう、座れ座れ」

「ありがとう」

椿はルノワールの画集を閉じた。メガネ君は空いていた椅子に座った。オレはペンを置いて向き直った。メガネ君は紙袋からお菓子を取り出した。どうやら本当にお菓子を持ってきたらしい。有り難く頂戴しておいた。

「聞いてみたところ、ほとんど全員が花子さんと喋っているみたいです」

「ほう。どんなことを?」

「それが曖昧で――。あんまり教えたくないとまで言われちゃって」

「ちなみにメガネ君は何か話したのか?」

「いいえ、何も。あ、それと僕と同じように花子さんがニイッて笑うところを見た人はいませんでした」

「ん?メガネ君は花子さんと喋ってないのか?」

「え、はい――」

お菓子を取り出してつまみながらオレは持っている情報と照らし合わせる。オレが聞いた限りではいなかった。連絡がつかない人は全体の一割ほどいる。それと関係しているのだろうか。

「とりあえず、明日のお茶会について説明しておきますね」

メガネ君はそう言って色々と説明してくれた。あらかじめ部長にはオレたちの参加を伝えておいてくれたようだ。

お茶会は準予約制らしい。あんまり知られていないのもそれが理由だろう。もちろん、当日の飛び込みも可能だが、お菓子を大量に持っていないといけない。それは面倒なのでちゃんと参加したい旨を伝えておいた。

「持ち物はお菓子です。個別包装が好まれます。お茶は用意してあるので用意しなくて大丈夫です」

「部長の名前と特徴だけ聞いて良いか?」

「あ、はい。名前は山田で、ヒョロッとしています。頭一つ飛び抜けているのですぐに分かると思います」

名前と特徴をしっかりと頭に入れておく。部長にも話を聞いてみたかった。なにせ前部長が信用している人だ。どんな人だろうか。

「それじゃあ、僕はこれで」

「おー。ありがとな」

「いえ――」

メガネ君はどこか不安げな顔をしていた。椿はルノワールの画集を開いて――、といってもポーズだが、何やら考えていた。かくいうオレも自分の持つ情報と照らし合わせていた。

「――……っ」

メガネ君がなにか言っていた、ような気がした。けれどそれは、オレには届かなかった。

翌日、オレたちはお菓子を持って会場に向かった。部屋の前に立っていたヒョロッとした男が部長の山田だろうか。オレたちに気付くとこけた頬を少しだけ上げた。骸骨みたいだ。

「やあ、来てくれてありがとう」

「いえ。参加を受け入れてくれてありがとうございます」

オレがにっこりと笑えば山田も目を細めた。椿はあふ、とあくびを漏らした。どうせルノワールの画集を深夜まで眺めていたんだろう。お茶会にはお菓子を食べに来ただけを装うつもりのようだ。オレとしてはそれよりも寝てしまわないかが心配だ。

「どうぞ」

部屋に入ると大きな会議机の上にお菓子の袋が、壁際には椅子があった。なるほど、お茶会は立食パーティー形式か。

「自由に過ごしていてね」

「ええ」

椿と共に机に持って来たお菓子を置く。部屋を見回せばたくさんの人が参加していた。意外と女子生徒もいた。椿はいくつかお菓子を取ると壁に寄りかかった。壁の花だ。

オレは飲み物を紙コップにうつしてから数人で話している二年生の男子生徒の輪にまぜてもらった。

「そういや、連れションが増えたな」

それぞれの部活の話や成績の話をした後、西原がそう言った。くりっとした丸い目が呆れたと言うように細められていた。

「あれだろ、花子さん!」

「そうそう。なんでも呪われるらしいぜ」

「へぇ、どんな話なんだ?」

あくまで知らない態度を取れば、河内と平井も乗ってくれた。たぶん、優越感を感じているんだろう。

「男子トイレの個室に花子さんが出るらしい」

「花子さんが?覗きかよ」

「三番目っつーのは守ってるみたいだぜ」

「俺の友だちは花子さんと話したっつった頃から調子が悪くなっちゃってさ。今は欠席してんよ」

「あー、相川だろ」

「そ。アイツ、なんか花子さんと話したみたいでさ」

「何を話したんだ?」

「さあ?教えてくんなかった」

「そーいやー、佐竹は?」

「あー、佐竹も休んでんな」

「でも佐竹は調子悪くなかったじゃないか」

「アイツ、花子さんが笑ったっつってなかったか?」

「マジ?」

やはり花子さんの話は二つあるらしい。予想通りだ。一つは花子さんと話して調子が悪くなるパターン。そしてもう一つはメガネ君と同じように花子さんに笑いかけられたパターン。後者は調子が悪くなかったが、前者はその頃調子が悪かった。

オレは肩をすくめた。あくまでポーズだ。怖がっておいた方が後々やりやすい。

「マジかー。トイレひとりで行けねーじゃん」

「だから連れション」

「野郎がすることじゃねーけどな」

「身の安全には変えられねーっしょ」

「あー、オレもそうしよっかなぁ」

「トイレ行かなけりゃ良い話だけどな」

オレはそれに笑い返す。そりゃそうだ。

それから同じように色々な輪にまざってみたが、最初に聞いた情報以上のものはなかった。

「えぇ?今、花子さんって男子トイレに出るの?」

「そうみたいなんだけどさ。なんか知らない?っていうか女子トイレに花子さんって出ていたのか?」

女子の会話に紛れてもみた。二組の村瀬は小首をかしげた。

「んー、わたしは知らないなぁ?ハルリンは?」

「女子トイレの花子さんは知らないよぉ」

「だよねぇ」

「っていうか花子さんって七不思議だよね?どうして綾くんが?」

「次の絵のテーマが七不思議なんだけど、どんな七不思議があるかなぁって思って。リアルな話を集めてんだ」

「そんなので絵が描けるの⁉」

「すごーい」

ハルリン、こと春野は目を丸くしていた。しかし、どこか浮かない顔もしていた。

「春野は、茶道部だっけ?」

「え? ――ああ、うん、そうだよ」

「毎週こんなお茶会をやっているのか?」

「そうだよぉ。これは洋風のお茶会。和のお茶会は二週間に一回、お茶の先生が来てやっているんだぁ」

「ハルリンの正装、めちゃくちゃかわいいんだよ!写真見たんだけどさ――」

村瀬が話題を変えた。春野は安心したような顔をしていた。

「楽しそうな話だね。えっとー、村瀬さん?だっけ?茶道に興味ある?」

そこに山田がやって来た。品定めをするような目をしていた。あんまり部員は欲しくないようだ。オレでもそう思う。なにせ村瀬は口が軽い。

「えぇー?正装はかわいくて良いなぁって思いますけど、茶道って堅苦しいイメージなんで、遠慮しときます」

村瀬はハッキリとそう言うとお菓子を取りに行った。春野もついていく。同じクラスじゃないのに仲が良いようだ。

「今回は何を調べて?」

山田はオレの隣にいたままだった。オレはハッと笑った。前部長から付き合いがある山田は、当然オレたちが何かを探っていると思っているらしい。

「差し入れをくれるなら教えても」

「どうせ男子トイレの花子さんだろう」

分かっているなら聞かなくてもいいものを。オレはふっと肩の力を抜いた。

「正解」

「それでは差し入れしておく」

山田はチョコパイをオレの手に乗せる。ヒラリと手を振って去っていく後ろ姿を見送りながらチョコパイの袋を裏返す。そこには協力者は茶道部にあり、とあった。たったそれだけ。いや、それでも充分だ。

「ハッ……」

上等だ。

オレはベリッと袋を開けてチョコパイを食べた。チョコパイは妙に甘かった。

その週の金曜日、事態は急変する。メガネ君と同じクラスの金田から連絡が入った。メガネ君がもう三日も休んでいる、連絡がつかない、と。三日、ということは水曜日からだった。

椿に一報を入れればどうやら想定内のようだ。今回は筆を紙の上で遊ばせながら退屈そうに頬杖をついていた。かくいうオレも焦っていない。こうなるだろうことは分かっていた。そして、それはメガネ君もそうだろう。

彼は相談時に欠席になる、ではなく消される、と言っていた。それはつまり、笑いかけられたパターンの人は連絡が取れなくなることを意味する。連絡が取れないイコール消されるというのはなかなか発想がぶっ飛んでいるが、まあ良いだろう。

今日は誰が休みだった。昨日は、その前は。そうやってどんどん増えていく。教師は空っぽの座席を見て呆れたようなため息をつくだけだった。

「花子さんは?」

「……」

オレは何も返さなかった。椿はふいっとそっぽ向いて筆で遊ぶのに飽きたのかラッセンの画集を見ていた。それはずいぶん前に買った画集だった。何年か前に有名画家よりラッセンが好き、などと叫ぶ芸人がいたが、一年ともたずに芸能界で見なくなった。まあ、そのおかげでラッセンの知名度が上がり、ラッセン好きは落ち込んだり喜んだりと忙しそうだったが、オレたちには関係ない話だった。

「ま、良かったな」

尊い犠牲だ。有り難いと思え。そう思いながらオレは椿を睨んだ。椿は涼しげな顔をしてペロリとページを繰った。

オレは不貞腐れながらノートの隅にニコちゃんマークを描いた。椿は横目でそれを確認するとフッと笑った。メガネ君という例と同じにするならば、オレも消されるということだ。でもたぶん、椿はこう言う。

「ま、暴けて良いんじゃない?」

ほらな。そう言うと思った。

「パンか?それともソフト麺か?」

椿はコンパクトな筆箱から二本のペンを取り出す。青色のマーカーを「パン」、黄色のマーカーを「ソフト麺」と言って差し出した。

「いや、ドクペだな」

「ドクペか……」

傍からみたら訳の分からない遊びのように見えるに違いない。椿の言いたいことは恐らく、朝見たのか、昼休みに見たのか、これだろう。朝は椿が来るのを待ちながら惣菜パンを頬張っていたし、今日の給食のメニューはソフト麺だった。そしてオレが炭酸に飢えドクターペッパーを購入したのは二時間目の休み時間。つまり、そういうことだ。

「それで、椿の方は何か分かったか?」

「いいや?何も」

「えっオレ無駄死に?」

「無駄死にだな」

他人事だと思って平然と言ってのける。そこは嘘でも「助かったよ」とか「君のおかげだよ」とか一言くれるもんじゃないかね、椿くんよ。

「無駄死にかぁ」

厳密に言えばまだ口に出してはいないけど、なんて屁理屈が花子さんに罷り通るとも思えないし。随分と短い人生だったなと古い記憶を走馬灯に見立ててテキトーに思い返していると、椿が真剣な顔で、ただ、と続けた。

「ただ、少し妙な点が四つあるんだ」

「なんだ。ちゃんとあるんじゃんよ」

椅子にもたれた体を椿の机側に寄せて身を乗り出す。

「まずは、彼女を見たって奴らの話がやたら整いすぎているってところ」

「おー、確かに。今の所『話しかけられて逃げた』タイプと、『笑いかけられた』タイプの二種類だけだな」

人によっては立ち向かったり、無視したり、接触を試みたりするパターンもあっておかしくないはずだ。

ちなみに俺は笑いかけられた方。何を言っても無言で笑うだけだから、とりあえず足元が透けてないことだけ確認してから撤退してきたのだ。そう、あれは戦略的撤退である。逃げた訳では無い。

「あぁ。文言までかなり似通っている。まるで、マニュアルがあるみたいだ」

「ということは、この花子騒動自体がある団体による自演、もしくは話を合わせることで何らかの利益がある……という線も見えてくるな」

「そう。そこで二つ目なんだが、綾、この間の火曜のこと覚えているか」

「火曜日?何かあったっけ」

「滝元が差し入れに来た日だ」

「あー、あれね。覚えてるけどそれがどうかしたのか?」

「綾も聞こえただろ、滝元の最後のセリフ」

その椿の言葉に、あ、ちゃんと話聞いてたんだ、と思ったけどあえてそこには触れないでおく。てっきり椿のことだから画集と羊羹のことでいっぱいで、メガネ君の話なんて所々飛んでたんじゃないかと思った。

「最後の、ってあれ聞こえたのか?」

「あぁ。『どうかあいつを救って下さい』って」

あいつ、ね。メガネ君からそんな感じの話聞かされてたっけ、と思い返してみても心当たりはなく、それは椿も同じらしい。さっぱり、と言ったように首を緩く振って両手を胸元あたりに挙げた。

「なるほどね。で、それがマニュアルっぽい証言とはどんな関係が?」

「救う、ってことは誰かを花子から守ってくれって意味なのか、それとも花子を守ってくれってことなのかの二択で考えてみたんだよ。滝元は一週間前の金曜、僕たちに相談に来た時点で自分が消されることを想定していた。もし、前者なら守りたい相手のことも初めから僕たちに相談していたと思うんだ。と言うより、隠すメリットがない」

なるほどな。確かに、メガネ君は花子さんの話を他人にするとどうなるかを知っていて、その人物のことを伏せていた。

「怪しいね」

「だろ。だから僕は後者だと思う。つまり、『あいつ』は花子のことじゃないかって」「メガネ君は花子さんの正体を知っていたかもしれない、ってこと?」

「あぁ。山田の言ってることとも繋がるし」

だとしたら、メガネ君の目的は何だ……。オレたちにわざわざ仲間を売るような真似をしたその理由は。

『協力者は茶道部にあり』

チョコパイの袋に書かれた言葉を思い出す。

椿があれを覚えてるとはこれまた意外だ。その袋を壁にもたれかかっていた椿に見せても、なるほど……と言ったきり固まったから興味無いのかと思ってた。

「次、三つ目な。その後たまたま一の三に行く用事があったから、知り合いの学級委員に聞いたんだが」

いつの間にかお茶会からいなくなったと思ったらそれだったのか。

たまたま下級生の学級委員の知り合いがいること自体が初耳だけど。とは口を挟まずに大人しく話を聞く。

「先月の欠席者一覧を見せてもらったところ、面白いことが分かったんだ」

一年生の欠席者に面白いも何もあるだろうか。疑問に思いつつ、椿が机から取り出した欠席者一覧のコピーを眺める。薄くシャーペンで印が付けられているところ。そこにを辿って読む。なんと月の後半ごっそり欠が付いている。少々卒業が危ぶまれるが、余計なお世話だろう。それで名前は……と。

はるの わたる……ん?春野?

「春野って茶道部の?」

「の、弟だ」

「へー、弟いたのか。てっきり末っ子だと」

しかしこれを面白いと思うだなんて。

「不謹慎なやつめ」

「違う。何が面白いかってさ、普段から休みがちな奴らが多いんだ、花子の被害者。先月はまだ花子の被害者が出ていないのに、ちょっと妙だろ?」

花子さんに会う前から休みがちだった人が多く、偶然にもその中に春野の弟がいる。それからメガネ君のあの言葉、山田の『協力者は茶道部にあり』という助言。うん、オレの尊い犠牲のおかげもあり、確実に真相に近づいてきている。

「なるほどな。確証付けるには被害者の共通点をもう少し調べたいところだけど、それはそうとして四つ目は?」

「それがさ、お茶会の正装ついてなんだけど」

椿は一段と真剣な顔をする。

ほう、正装か。結構近くで見てたけど何かおかしな点あったかね。

「あれ、手作りらしい…結構クオリティ高いよな。次の作品のモデルにしたいくらい」

解散だ解散。

「さて、何から手をつける?」

「オレに考えがある」

放課後の美術室、キャンバスには絵ではなく秘密裏に入手した、というか普通に学級委員に頼んであっさり手に入れた三学年分の先月の出席簿。オレと椿とで、ひたすら両端から『欠席日数が多いやつ』と、その中でも『まだ花子と関わっていない可能性のあるやつ』を割り出していく。ここで再びお茶会での情報収集が役に立つ。

そうしてある程度花子と接触しそうなやつの山を張って、尾行するというアナログな戦略だ。

が、この作戦には大きな穴がある。

「だめだ……目が悪くなりそう」

「漫画とそう変わらないだろ」

「全然違う、数字に味はないからね」

「漫画にも味はないが」

分かってないな椿は。と、とくとくと漫画の味について語っているうちに五人にまで絞ることが出来た。

「よし、どれも面識がない。連れションに誘われることもないな」

「あぁ。早速月曜にでも張るか?」

「そうだな。じゃあ、その時はソフト麺で」

月曜の給食のメニューなんて覚えてないし、二日続けてソフト麺なわけないことは分かっているけど、ここはあえて椿の言葉を使った。

しかし椿は、何を言ってるんだ?みたいな顔をして、

「月曜はカレーだ」

こいつは……。

昼間、椿とオレは枝松という男子生徒を静かに追っていた。絞り込んだ五人はもともと欠席日数が多いということもあり、オレたちが行動したいときに都合よく学校に居るわけではなかった。月曜日、カレーのあとの時間。たった一人登校してきた枝松を二人で見つめる。二年生の教室がある二階のトイレ付近には、まだそれなりに人がいた。

「誰かに話したら欠席するようになるっていうのは結局、……逆なのかもしれないな」

「やっぱり椿もそう思うか」

「うん。どちらかというと、誰かに話してからじゃないと、欠席が許されないんだろうね」

チェーンメールじゃないけど、噂を流してより多くの生徒が欠席すれば、学校も重い腰を上げて問題に対応せざるを得なくなる。じゃあ尚の事、なんで男子トイレだけにしか花子さんは出現しないのかって話だ。

「シンプルに考えれば花子さんは男性である可能性が高いし、三谷が嘘をついていなければ、花子さんはかなり幼い。幼いなら、性差も目立たない。女装しようが会話しようが『花子さん』は『花子さん』だ」

「とは言っても山田いわく『協力者』は茶道部にいるわけで、……茶道部にそんな小さい生徒いるか?」

「綾。『協力者』が茶道部にいるだけだよ」

「そうか。あくまで『協力者』か」

二人で話し込んでいると、しばらくして、枝松が一人でトイレに向かった。オレたちはその姿を見て、なるべく自然に後を追った。

「ねえ、とおるは、きょうもおねえちゃんのがっこうにいくの?」

「うん。ごめんね。透の保育園が見つかるまでね」

透を手製の服に着替えさせる。お姉ちゃんが戻ってくるまでに脱いだりしたら駄目だからねと念を押し、私は台所に戻った。透は黙って出発を待っていた。お気に入りの妖怪図鑑を開き熱心に机に向かっている。その様子を確認してから、私はプレートを持って廊下を歩いた。

「渉、朝ごはん。まだ咳出てる?」

渉の部屋の前に立つ。渉の返事は聞こえなかった。渉は返事をしているかもしれないが、大きな声を出すのがつらいのか、やはり聞こえない。入るよと声を掛けてから、片手でゆっくりと扉を開けた。咳をしながらも、渉はこちらを見て頷いていた。

「おはよう。ごはん食べられそう?」

「うん。ごめん、香姉ちゃんも忙しいのに」

「大丈夫だよ」

私はなるべく、笑うようにした。渉が座っているベッドのサイドテーブルに食事を置いて、漢方薬と水のコップを差し出した。渉は上体を起こして、私を見た。

「ねえ、香姉ちゃん、学校で変なことしてないよね」

「え……変なことって?」

「透を連れて行くこと、本当に学校に言ってある?」

「うん。……ちゃんと許してもらってるわけじゃないけど……ほかに預かってもらえるところもないし。それに今は、茶道部の皆が協力してくれるから」

「そっか。本当は、俺が透の面倒を見られればよかったんだけどね」

「何言ってるの。もし渉が透の面倒を見られる状態だったら、そもそも渉は、学校に通えてるでしょ」

「そうかな。どうだろう……でも、俺が病院に行く日はなるべく透も連れて行って、キッズスペースに座らせておく……」

渉は漢方薬を開封し、丁寧に水で喉へ流し込んだ。私はカーテンを開けて部屋に光を入れた。

綺麗なままの教科書が、本棚で眩しそうに背を光らせている。

「食べ終わったら、テーブルに置いておいて。起きられそうだったらお昼食べてね。冷蔵庫に入ってる」

「わかった。ごめん。迷惑かけてばっかりで」

「いいよ。でもお姉ちゃん的には、ごめんより、ありがとうって言ってほしいな」

「あ、うん、ごめん。違う……ありがとう」

私は渉の頭を撫でた。自分と同じ高校生を子ども扱いしすぎだろうか、と思う反面、いくつになっても弟は弟で、守りたい存在であることに変わりはないという思いもあった。欠席が嵩んでいるとしてもそれは渉のせいではなく体調のせいで、渉が不甲斐ない気持ちになったり、責任を感じたりする必要はない。笑顔のまま、いってきますと扉を閉めて、待っていた透といっしょに高校へ向かった。

枝松はまだ、男子トイレから出てこない。これはおそらく、花子さんとの邂逅を果たしているのだろう(そうであってくれれば尾行のしがいがある)。

「綾。さっきの続きだけど、ご存知の通り僕はそれなりに頭が悪いから、茶道部だの協力者だのの話を聞いたあとで欠席しがちな春野渉の存在を知ったらそれが偶然とは思えない。本当に偶然だとしても、僕はそこに接点を見出したくなる」

「そうだね。おまけに、メガネ君の『どうかあいつを救って下さい』って発言もあるからね」

「動機はさておき、滝元が茶道部の内情を知っていたとして、ほとんどの情報を伏せて美術室に足を運んだんだから隠したい理由が……いや、全てのことに確信が持てないから、敢えて僕たちには黙っていたのかもしれないけど」

「確かに。オレたち前情報があると外堀を埋めるよりもまず関係者に突撃するからな。その方が手っ取り早いこともあるし」

「綾の場合は特にその傾向がある」

「でもド直球で遠慮がないのは椿の方ね」

「そんなことはない」

「そんなことあります」

昼休みで人通りが多いためか、オレたちが立ち止まって話し込んでいても、幸い目立つことはなかった。一方で、トイレの利用者は少なかったが。

「で……誰かに話すっていうのは、『花子に会えば学校を休んでもいいらしい』って噂を流すってことなんだよ、多分。男子トイレに花子さんが出るらしいとかいう生半可な噂じゃなくて、休めるぜっていう。これも花子さん本人から頼まれてると見たな」

「そうか。だから、話された内容を聞かれたときに答えられないやつが居るのか……」

「それぞれの理由で休みがちな同級生を救いたい男児は懸命に噂を流すし、証拠作りも兼ねて自分も休む」

「義務教育ではない、という点が活きてくるわけだ」

「どうだろうね。来年度、留年する生徒が続出したりして。まあ、転校も高卒認定も簡単じゃないんだから待ってればそのうち終わる騒ぎではあるのかも」

ふと、扉の開く音がした。椿とオレは、一瞬、顔を見合わせる。枝松だ。ふらふらと、何事もなかったかのように教室へ戻っていく。

「僕が追う。綾は五時間目の授業サボって」

「……なるほどね。でも、オレが先生に怒られたら椿のせいにするから、そのときはちゃんと椿もいっしょに謝ってよ」

「断る。じゃあ、また後で」

断るなよ。そう言いかけたオレを気にすることもなく椿は枝松の背中を追いかけて歩いた。

オレは変わらず男子トイレに張りついていた。

南門の近くで、私と透は植込の影に隠れた。周りを少し確認して、私は透の帽子を取った。

「透、最初の鐘が鳴ったら、ここを通って、いつものお教室に行ってね」

「うん。わかってる。それで、おわりのかねがなるまえに、とおるはトイレにいくんでしょ」「すごい。もうちゃんと覚えてるんだね。はじまりの鐘が鳴ったら、またお教室に戻って待ってて」

「ねえ、またおかしたべてもいい?」

「あ、うん。いいよ、お茶会で余ったやつだから」

休み時間、人の往来が激しいときは、茶道部の部室に隠れたとしても覗かれれば周囲に透の存在がわかってしまう。本当はいつでも鍵がかけられるトイレの個室にずっと居てほしいけど、常識的に考えて小さい子どもを何時間もそんな場所に閉じ込めてはおけない。リスクも承知で、授業中は、茶道部の部室で遊んでいてもらう。部長や滝元君にバレてからは、二人もたまに透の面倒を見てくれたりする。サボりついでに。「透、確認ね。トイレで誰かに見つかったときは」

「みつかったら、うそのなまえをいう。とおるじゃなくて『はなこ』っていう」

「そう。透が透だってわかったら、学校がママに電話かけちゃうから。でも、そのあとたくさんトイレに人が来そうだったら――」

「いっぱいのおしゃべりはしない。えがおだけ」

「うん。あとは、いつも通りのお話をしてね」

「ちゃんとおはなしする。おにいちゃんががっこういけるように、みんなにおはなしする」

「ありがとう、透。……ごめんね」

渉にそうするように、私は透の頭を撫でた。父と、再婚した女性の間に生まれた、幼い末っ子。歳が離れていても、母親が違っても、私にとっては渉と同じように、どうしても守らなければならない存在だ。

「お姉ちゃんが迎えに行くまで、最後はトイレで待っててね。また何個かお菓子持ってくるから」

「わかった。おねえちゃんじゅぎょうがんばって」

私は聞き分けのいい透に甘えて、正門に向かった。

別に、一人だからどうということはない。前に花子さんと会おうと粘ったときだってオレは一人だった。だから授業をサボって男子トイレの前に立ち尽くす不条理だってオレは受け入れる。教壇から見える景色の死角に身を収めなければならない窮屈さだって受け入れる。それぞれの教室で五時間目の授業が始まり、廊下はすっかり静まり返っていた。先生たちもこのトイレを利用していれば早期に発見されたかもしれない。まあ、先生たちはほとんどの場合教職員用のトイレを使うのだから、それも無理な話か。オレは一応、スマートフォンを確認した。まだ椿からの連絡はない。枝松が早退なりしていれば椿も早退するだろうし、枝松が平然と授業を受けているのであれば椿もサボり中だ。

――何の音沙汰も無いな。

扉は開かない。枝松が花子に会っていないことも普通に有り得るのだから、変な期待はしないが。だがこうも焦らされると、解決したい気持ちが先走る。オレは男子トイレの扉に手をかけた。念のため周囲を確認したが、特に誰もいない。みんな真面目に授業を受けているということだ。オレは特に迷いなく扉を開けた。すぐに、デジャヴを感じる。奥側の個室のわずかな物音に耳を澄ませた。金曜日の休み時間に見た姿が、たしかに、そこにはあるはずだ。オレは焦らずに個室へと近づき、中を確認した。

「え……山田、と、花子さん」

「やあ。どうも。こんにちは。君が外にいたから、出るに出られなくて困ってたんだよ」

「いや、いつからここに?」

「今日の昼は最初から。途中で何人か出たり入ったりしてたから、そのときは隣の個室にいたんだけど。しかし君も椿君も滅多に授業をサボるような人じゃないと勝手に思い込んでいたから……油断したな」

オレはため息をついた。椿の予想通り、花子さんの出入りがあるとすれば、トイレ利用者が少ない授業前半だったのだろう。花子さんが生きているなら、何時間もトイレだけに居られるはずがない。花子さんが素直に出てきてくれればそれはそれで楽に済んだような気もするが、オレに気づいてトイレの中で粘ったお迎えの山田付きのほうが、話は早いかもしれない。

「で、その子どもはいったいどこの誰なんだ」

「知ってどうする?」

「そりゃ、家に帰して、人を困らせないようにって家の人に伝えてもらうのがいちばんだと思うけど」

山田は腕を組んだまま、オレを見下ろした。

「それで問題は解決するのかい?」

「……しないわけか」

「意地悪を言うわけじゃないけど、美術部は相談屋なんだろう。花子さんの正体を知るよりもまず、相談者の問題を解決しようとするべきだ」

山田の穏やかな語り口に、緊張感が走った。オレは少しずつ、思い出す。当初メガネ君は、話したら僕も消されてしまうから一週間以内に解決したい、と述べていたはずだ。加えて、山田からの『協力者は茶道部にあり』という煽り。オレたちが一週間以内に解決できなければ、規定通りメガネ君は学校を休み始める。するとメガネ君は、今の山田のような花子さんの子守りに協力できなくなる。それはメガネ君にとっても花子さんにとっても望ましくない結果だったのだろう。それならメガネ君の言う『あいつ』というのは。

「──春野、か」

春野の名前を出すと、花子さんは初めてまともにオレのほうを見た。ポケットの中で、スマートフォンが短く振動する。取り出して電源を入れると、椿からのメッセージだということがわかる。

『早退した枝松を追いかけて捕まえた』

『今から美術部として、彼の相談に乗る』

『綾の方も何か動きがあったら知らせてほしい』

枝松を捕まえて新鮮な情報を吐かせようとしてる、って……やっぱり、ド直球で遠慮がないのは、椿の方だ。

山田は花子さん――、もとい春野の関係者らしい子どもの手を引いて茶道部の部室へ行った。そこで待機らしい。子どもは不安そうな顔をしてオレを見ていたが、小さく手を振るだけにした。

オレはそれを見送って美術室に向かった。椿は美術室では事情を聞いていなかったから、考えるためにこもった。

授業?そんなもんは受けずともなんとかなる。今は混乱した頭をどうにかしたかった。

『相談屋ならば相談者の問題を解決しようとするべきだ』

山田の言葉は最もだった。オレたちは相談屋。なのにメガネ君のことを気にせずに、花子さんを捕まえようとした。彼は望んでいなかったはずなのに、だ。

「まだまだ足りないな」

尊敬するオレたちの前部長ならこんな事態は招かなかった。メガネ君が消されることも、山田からあんな言葉が吐かれることも、椿が詰問をしにいくことも。すべてオレに力がなかったから。オレが、見逃していたから。

あぁ、こんなんで本当に部長なんて務まるのだろうか。椿の方がしっかりしていて、オレよりも信頼されるのに。どうして椿が部長じゃないんだ?

小さな音がする。暗くなっていた思考のまま、本能的にスマートフォンを取ればそこにメッセージが表示されていた。送り主は前部長だった。

『元気にやっているか?』

それだけ。その十文字程度のメッセージがオレをそっと掬い上げた。バチンッと自身の頬を勢いよく叩く。赤くなろうが構わない。

オレは、あの人から大切なものを引き継いだ。あの人が作り上げた『相談屋』を、オレは守ると伝えたはずだ。ほどほどにな、と笑ったあの人は、オレを――、いや、オレたちを信じてくれていた。こんな格好悪い姿なんて見せられない。立ち上がって美術室を見る。そこらにあるのは前部長のコレクション。管理もオレたちの仕事だ。

『まあまあ元気です』

前部長への返事を送って椿に連絡する。椿の方も情報を得たらしい。報告会をするか聞かれていたが、聞かないと返事をして早退することにした。この事態をおさめるため、そしてメガネ君の願いを叶えるために動こうと決意した。

『分かった。僕にできることがあればやるよ』

珍しく協力的だ。こういうときの椿は、非協力的だと思ったんだけど。心境の変化か?いや、あり得ないだろう。

『僕も事情を聞いたから』

エスパーかよ。

ゆっくりと目を開けて私は周囲を確認する。薄暗い室内だが、カーテンから微かに光が漏れていた。慌てて身体を起こすと時計は寝坊を告げていた。

バタバタと顔を洗って髪をととのえて、制服を着て、朝ごはんを作って――。フライパンをコンロに乗せた瞬間、身体が傾いた。ドサッと音がして視界がひっくり返る。天井に小さなシミを見付けた。

いや、そうじゃなくて。動かなきゃ、と思うのに身体は動かない。下敷きになった右腕が痛い。

ひゅっと息が漏れる。

トタトタと足音が聞こえる。透が起きたみたいだ。じわっと視界が濡れる。

ごめんね、朝ごはん、まだ、できていないの。でも、すぐ作るから。

「おねえちゃんっ⁉」

透の声が悲痛そうに聞こえた。笑おうとしたけど口元が引きつってうまくいかない。

あれ、笑うのって難しかったんだ。

「どうした、透……って、香姉ちゃん⁉……ゲホッ、うっ……、」

渉まで来たの?起きてこれるなんて調子が良いみたいね。これなら学校に行けるねって言いたかった。

けれど喉が引きつって声が出ない。肩に温かな手が触れる。渉の手だ。小さな透の手も分かる。でも、もう動けそうもなかった。

「おにいちゃん!おねえちゃんっ!」

「ぅ……、とお、る?く、すり……」

だめだよ、それは発作じゃない。

でも透はパタパタ駆けていってしまった。薬の場所は有事のために教えていた。それが仇になった。

「おにいちゃん!」

その時、チャイムが鳴った。透の足音が遠ざかっていく。知らない人かもしれないから出ちゃだめって言ったのに扉を開けてしまったようだ。

足音が増える。

「春野!おい、聞こえるか⁉ってあつッ!」

「綾、とりあえず救急車!火を止めるのも忘れずにね」

「火って……、あぁ、これか」

お茶会で聞いた美術部の二人の声だ。あのとき部長がネズミがいるって言ってたけど二人のことだったんだ。

これでもう何もできないね。渉を、学校に行かせてあげたかっただけ、なんだけどなぁ。

「んで、こっちは――っと」

「渉くんだね。大丈夫、深呼吸しようか。僕の真似して。そう、上手。……うん、発作じゃなくて良かったよ」

もう、何も見えないや。

暗い視界の中、音が徐々に遠ざかっていく。そう言えば、最後にちゃんと休んだのって、いつだったっけ――。

春野の家に行く二日前。オレたちは校長室に来ていた。

五センチはある分厚い書類を抱えたオレはさぞ思い詰めた顔をしていたらしい。隣にいた椿が容赦ない力でオレの背を叩いた。

くそ、本当に容赦なかった。思わずむせた。

「大丈夫さ。気楽にやろう」

「お前のそのなんくるないさ精神はどこから来るんだよ」

「おじいちゃんと話すだけだよ。緊張なんてしない方が綾には良いと思って」

椿はそう言うと扉をノックした。中から入室の許可が聞こえた。ノブに手をかけて開けた。

「やあ。美術部の二人だね。よく来てくれた」「いえ、お時間いただきありがとうございます」

校長はハゲていなかった。白髪でもない。うん、ちょっとふわふわした髪だけど天パではなさそうだ。目尻に寄ったシワとか、口元のシワとか年季が入っている。集会とかで遠目に見たことはあったけど、こんな近くで見るのは初めてだ。うわ、意外と小さい。

部屋の中はイメージより豪華ではなかった。もっと盾とかトロフィーとか飾ってあるものだと思っていた、勝手に。

ソファーに案内されて座る。おい、ふかぁってしたぞ、これ。うわっ、沈む沈む。埋もれちゃう。オレは姿勢を正した。椿はふかぁっとソファーに埋もれているようだった。おいおい、しっかりしろ。

オレは小さく咳払いをした。頼むから大人しくしててくれよ。

「生徒の大量欠席に関して意見があるそうだね」

「ええ。彼らが休んだ理由は不明ですが、一人だけ学校への登校が難しい生徒がいまして」

「ほう」

「学校に登校することは授業を受けるためには必須です。ですが、どうしても難しい事情の生徒だっているんです」

「そのため、僕たちは意見書を作りました。体調が優れない、家事をしなくちゃいけない、幼い弟や妹の面倒を見ないといけない。そういう生徒にも学びの機会を与えることが学校の責務だと考えます」

椿め、良いところを取りやがったな。まあ、良いけどさ。

書類を机の上に乗せた。

「結論から言ってもらおうか」

「ええ。結論から言えば、遠隔授業を行いたいです」校長は特に何も言わなかった。表情も読めない。

「遠隔授業は動画形式で行います。実際の授業を撮影後、編集して生徒が観られるようにします」

「教師の仕事を増やす気か?」

「いいえ。編集は映像部が行います。彼らに許可は取りました。映像編集の練習として歓迎されています」

「すべてのクラスをやろうとしたら大変なことだぞ」

「ええ。なので学年別に一週間分を公開します。映像部と編集体験をしたい生徒、授業で取り扱うことでまかなえる計算です」

「教師陣のメリットは?」

「動画として残すことで授業の研究がやりやすくなります。また、生徒が復習として使うことで試験の点数が良くなります」

校長が黙った。他に質問はないみたいだ。実際、デメリットはほとんど潰しておいた。教師陣の仕事が増えるとか、学校にメリットがあるのか、とか。

色々な部活や先生に頭を下げて頼んで回った。それが広まったのか、出来上がった意見書を校長まであげられるようにしてくれた。

「この制度は、主に病気などで登校の難しい生徒や、生理休学申請した生徒に使ってもらうことを想定しています。また、インフルエンザなどの公欠扱いになる欠席も含みます。これにより、授業についていけない生徒が減ると予想されます」

「どうしても登校できない理由がない限り、使えないということかい?」

「いえ。動画自体はどの生徒も観られるようにします。しかし、その視聴をもって出席とする制度を利用できる生徒が先ほどあげた例に該当する……」

「率直な意見を言っていいかい?」

ごくりと唾を飲んだ。

「ええ、どうぞ」

「私は賛成したい。これによってメリットはとても大きい」

ほっと息を吐き出す。椿がオレの背を叩いた。痛い痛い。だから手加減しろって。

「私は元々そういうことをやりたかったんだけどね。いかんせんそういう意見を持ってくる教師がいなかった」

「まあ、対面で行うことがベストですけど」

「けれどヤングケアラーといった生徒も出てきている。病気や怪我などで通学が難しい場合も、登校が必須と言われると休学か退学しか方法がなかったものだ」

「はい」

「それが改善される良い意見書だ。生徒が提案するという形も素晴らしい。ここまでの君たちの努力を私は讃えたい」

「ありがとうございます」

「ただし一つだけ訂正だ。編集は教師陣も分担する。授業を使わなくても大丈夫にする。生徒にばかりやらせずに、教師もやってみれば良いさ。無駄に気付いたりもするしね」

ふふっと笑った校長はちょっと子どもっぽい。うん、良い人だ。

「こんな素敵な提案をしてくれてありがとう。ぜひ、今週中に実行しようか」

「その場合、早速その制度を使わせたい生徒がいます」

「良いだろう。はじめは至らない点ばかりだろうが、少しずつ改善していこう」

校長はそう言って右手を伸ばした。

「協力してくれるね?」

オレは椿と顔を見合わせる。椿は好きにしろ、というポーズを取っていた。面倒だって思ってんの、分かってからな。

「オレたちのできる範囲で良ければ」

だからそう返した。美術部の活動には影響がなくとも、相談屋の活動には影響があるかもしれない。さすがにそこは譲れなかった。

校長はハハッと笑った。某有名テーマパークのキャラクターみたいだった。

「なんでもって言わないあたりが賢いね。まあ、良いよ。高校生は私たち教師の想像以上に忙しくて楽しくて青春しているからね」

「それじゃあ僕たちはこれで」

さっさと立った椿がオレを急かす。おい、お前どうやって立ったんだ。このふかふか、立てんぞ。ジタバタしていたら椿が助け起こしてくれた。その後についたため息さえなければ完璧だったのにな、おい。

「失礼しました」

校長室を出てオレたちは美術室に向かう。その足取りは平時より少しはやかった。

美術室にはメガネ君がいた。不安そうな顔を消し去りたくて親指を立てた。メガネ君の表情が一気に華やぐ。ありがとうございますっ、と勢いよく告げられた。

「うまくいったな」

「だろう?綾は緊張しすぎ」

椿が笑む。オレも小さく笑った。

メガネ君は茶道部に報告に行っていた。これで春野たちの問題も解決だ。そうすると必然的にメガネ君の相談も解決したことになる。

事の顛末はこうだった。

ハルリンこと春野香は病弱な弟、渉の欠席が嵩んでいることを気にかけていた。このままでは友だちもできず、授業も受けられず進級できないのではないか。

そこで遠隔授業の提案を教師にしたが、教師は話も聞いてくれなかった。そのとき、教師がボヤいていた生徒の欠席率が低いから、という言葉に彼女はひらめいた。欠席率が高ければ学校側も対応せざるを得なくなるだろう。そのときにもう一度提案をすれば聞いてもらえるのではないか。

その頃、茶道部のお茶会で調子が悪くて休みたいとボヤいていた生徒に目をつけた。彼らは調子がちょっと悪いだけで学校を休めないと思っていた。春野はそれを利用した。

まず、男子トイレに花子さんが出るという噂をばら撒いた。それから保育園が決まらない異母兄弟の透に女装させてトイレに配置した。透には渉が学校に行けるようにするために休んでほしいと『花子さん』として話をするよう伝えた。

ただし、休む前にチェーンメールが如く花子さんの噂を広めるよう約束させて。そうして『男子トイレ』の花子さんは広まった。

しかし全てが順調ではなかった。噂をばら撒き始めた頃、春野は山田に問われた、何をしようとしているのか、と。春野は仕方なく計画を話した。山田はそれを聞いた後、透が長時間トイレにいることはマズい、と言って茶道部の部室で透を預かると言った。もちろん春野は止めた。しかし、幼い子どもの安全には替えられないと言って譲らなかった。

こうして茶道部全体が協力者になった。

そこからは比較的スムーズだった、メガネ君が協力できないと言うまでは。

メガネ君はたくさんの生徒が休んでも対応を変えない学校に諦めを抱いていた。それと同時にこれ以上続けても変わらないだけでなく、渉が気負うだけだと判断した。姉にこんなことをさせてまで渉が通いたいのか、メガネ君には分からなかった。けれど、今の春野の状況を渉が望んでいないことは分かった。

メガネ君は度々渉と勉強会をして仲を深めていた。メガネ君が来る日をカレンダーに印をつけて待ちわびるほどに渉は楽しみにしていた。今度は学校で会いたいね、と言う渉が、春野の行為を許すとは思えなかった。

そして、彼は賭けに出た。それが美術部に相談することだった。

あとは全て今回の相談に繋がっているので割愛する。

「いつ伝えるか?」

「正式決定は明日って言ってただろう?」

「そういやそっか。じゃあ明日か?」

「いや、明後日の朝かな。明日の朝、正式決定されるかは分からないしね」

校長に渉のことを伝えたため、明日にはこの制度の実施と共に利用生徒第一号が発表される。

校長、即決即実行型だったな。こっちとしてはありがたいけど。

「家の場所は?」

「もう分かっている」

さっすが。

オレたちが春野の家を訪れてから一週間が経った。春野は回復し、高校に来ていた。透は高校近くの保育園に通えることになった。渉は遠隔授業で出席をしている。全てがうまくいった。

「……なのになぁんでいんのかなぁ」

「良いじゃないですか、別に」

「そうだな。茶道部はしばらく活動休止も同然だからな」

「だからってここを貸すとは言ってないんだって」

「良いだろう、別に。邪魔はしていない」

「そぉいう問題?え、オレがおかしいの?」

美術室には茶道部がいた。保育園帰りの透がスケッチブックにクレヨンで絵を描いていた。

「まあ、良いけどさ」

「もちろんタダじゃないさ。茶道部は今後、美術部の協力者になろう」

「はっ⁉」

山田の言葉にオレは驚く。山田を凝視すればどこ吹く風。痛くも痒くもないようだった。

「今回はかなり迷惑をかけたからな」

「それはありがたい。これからもよろしく」

椿が山田と握手する。ほんっとに、お前は勝手に……。

けれどふはっと笑う。

「んじゃ、よろしくな」

「あぁ」

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聖徳大学 文芸研究同好会

聖徳大学 文芸研究同好会です。 当ブログでは、同好会の活動報告や部員の何気ない呟きを発信します。