こんにちは。鱸です。
文芸研究同好会では、執筆活動の一環としてこのブログの記事を作成しています。
休憩がてら少しずつ記事を書き進めていましたが、
あっというまに一か月もの月日が流れてしまいました。
今回は、歌人・石川信雄(と前川佐美雄)について書きます。
というと語弊があります。
実際は私が彼のことを知るためにうろちょろした過程が記されているだけです。
※石川信雄は「石川信夫」の名で作品を出している例もありますが、ここでの表記は「石川信雄」に統一いたします。また、敬称を略します。
石川信雄は昭和期の歌人なのですが、直接的な情報がとても少ない人です。
どの程度少ないかといいますと、某フリー百科事典の記事が存在しない程度です。
同サイトの前川佐美雄の記事のなかでも太字にすらなっておりません。
(彼らの短歌については、私が改めて書く必要もないでしょう。)
現在手に入れようと思って手に入る彼の書籍は、
『cinema』復刻版(ながらみ書房)、
『石川信雄著作集』(青磁社)などでしょうか。
第二歌集の『太白光』は探せませんでした。
『石川信雄著作集』を取り扱っている書店はまだ珍しくありませんが、
『cinema』復刻版は新品で扱っている書店がほとんどなく、中古だと値段が高騰しています。
私はおとなしく国立国会図書館オンラインにアクセスしました。
「石川信雄」と一語で検索すると、思いのほか多くの検索結果を得ることができました。
彼の韻文あるいは散文が掲載されている書誌で内容を確認できる最古のものはおそらく
1947年から刊行されている『短歌雑誌』という雑誌です。
(『斜塔』や『エスプリ』についてご存知の方は、ぜひご連絡ください。)
しかし『短歌雑誌』はデジタル化されておらず、資料は自宅から閲覧できません。
遠隔複写の依頼もできますが、私が素人すぎて料金の見積もりができず、請求金額に震えて眠ることになりそうだったため断念しました。
マイクロフィルムになっているので、隙を見て永田町に行きたいと思います。
石川信雄に関連する資料のうち、
私が自宅に居ながら確認できる範囲でいちばん古い書誌は、
『心の花』の第34巻 第10号でした。
※短歌誌『心の花』は現在でも発行され続けています。
『心の花』34(10)に載っているのは彼の短歌作品ではなく、
前川佐美雄の歌集『植物祭』への批評でした。
もう少し詳しくお伝えさせてください。
『心の花』34(10)には附録として『植物祭批評集』が綴じこまれており、
そこで多くの歌人(と思われる方たち)が『植物祭』に対して所感を述べているようで、
その最後に石川信雄の『前川佐美雄と「植物祭」』という批評がありました。
さて、有益なお話とはいえないかもしれませんが、
なんだか溜め息が出てしまうのでここに書き綴ります。
石川信雄の歌集『cinema』の冒頭には「序」というまえがきのようなものがあり、
前川佐美雄、平田松堂、中川與一が論評(感想?)を寄せています。
そこに記された前川佐美雄の言葉が、なんともいえないのです。
ぜひ実際に目を通していただきたいのですが、
やはり情報に辿り着くまでには時間がかかりますので、
石川信雄『cinema』「序」pp.3-6より、責任をもって引用いたします。
このような一節です。
「…その間にあつて彼と私とは宛然一つあつて二つなきものの如くに生きのびて來た。從つて彼を理解すること、私以上のものが他にあらうとは思へぬし、反對に彼を解らなくなつてゐることも、また私より甚だしいものはなからうと思ふ。…」
「…だが、石川信雄の資質は、さういふ世間の一般的常識の尺度によつては測定し難いのである。」
「『シネマ』の出版を機として、石川信雄の頭腦は再び猛烈なる廻轉をはじめるに相違ない。それはいつの日のことであらう、そしてそれはどんな作品であらうか。激しく待望されてならない。」
これを踏まえて上述の『心の花』34(10)の附録 『植物祭批評集』にある石川信雄『前川佐美雄と「植物祭」』を見ると、やはり、溜め息が出るのです。
細かい話なのですが、『植物祭批評集』に文章を残した42人(40人?)のうち、
批評の表題に「前川佐美雄」を含んだのはたった3人なのです。
(「前川」のみであればあと1人います。)
たとえば石川信雄とともに『エスプリ』を創刊した二人ですが、
蒲池侃は『植物祭の魂』、
筏井嘉一は『植物祭に就いて』を表題に用いています。
※『植物祭批評集』の目次には「植物祭に就いて…筏井嘉一…(九四)」と記載があるにも関わらず、『植物祭批評集』のp.93左下には「批評集 をはり」とあり、なぜかp.31の左下に「筏井嘉一氏の評は來月號にまはすことにしました。」という記載があります。次号を確認しましたが、私の力では筏井嘉一の批評を探せませんでした。どなたか助けてください。
『cinema』からの引用に続き、『心の花』34(10)の『植物祭批評集』石川信雄『前川佐美雄と「植物祭」』pp.91-93より、印象的な文章を抜粋します。
「僕が前川佐美雄に言つた。あなたの短歌は、實に、美しいやさしさと、ずばぬけた趣味と、とびきりの思ひつき(といふのは、職想上の飛躍のことだが、)とで驚嘆させる、と。すると、彼が僕に言ふのだ。僕は、靑い波の上を走つてゆく黄色いセエルのヨツトのやうだが、しかし、今僕は氷山のやうな、水にかくれた大きな底部を欲しがつてゐる、と。そして、樹木の根は、はじめからそこにあるものか、後からおろされたものであらうか、と問ふた。
僕は、根は地中に延ばされてゆかれるものだらう、と答へた。」
「ある夜、筏井嘉一と僕とが、彼とともに、彼の室で夜を更かした時、海のこちらと海のむかうとの夜晝は、どんな風であるかが、問題になつた。みんなは、この分つたやうな、わからないやうな問題について考へるために、くすくす笑ひながら、一寸だまつた。
すると、前川佐美雄が、とつぜん、言ふのだ。
──多分、夕方のやうであらう、と。
これには笑つた。だが、この時、僕は、うす靑い反射がさびしく残つてゐる太洋の脊を、たしかに見た。」
これが歌集の批評の一部だとは思えないほどに、
彼らの環境が窺える描写を続けているように感じます。
松本良三『飛行毛氈』(石川信雄編)の「序」pp.7-13でも前川佐美雄は、
「…いつか石川君とその長髪に手入れを施し、無理に背廣を着させて見たが…」
「…かつて私と石川君は、彼に奉るに牛性なる新造語の名稱を以てした。…」
「…然し思ふにこれは石川君の言ふやうに、彼のミステイフイカシヨンの魔術であらう。…」
と、石川信雄の名が含まれた文章を残しています。
(石川信雄の「ミスティフィケーション」というワードセンスに脱帽です。)
石川信雄を探ろうとする上で、
前川佐美雄がその鍵となる人物であることに間違いはないのですが、
やはり前川佐美雄の作品数は膨大で、今の私の手には負えないような気がしています。
ちなみに石川信雄は『飛行毛氈』の「解題」で『エスプリ』について触れていました。
『飛行毛氈』に収録されている作品の一部は『エスプリ』で発表されたものだそうです。
話を戻しますが、石川信雄について知るため文字の樹海を彷徨っている私にとって、
『エスプリ』に松本良三の作品があったという情報は、大きな収穫でした。
先は長いですね。
石川信雄と彼の作品につきまして、
ご意見のある方、有識者の方は、ぜひ文芸研究同好会までご連絡ください。
どうぞよろしくお願いいたします。
2023.02.21 鱸
追伸
大学の図書館には『前川佐美雄全集, 第1巻: 短歌1』があります。この本には『植物祭』が含まれています。ご興味のある方はぜひ頁を捲ってほしいと思います。
『前川佐美雄全集, 第3巻: 散文』も大学の図書館にあります。
『前川佐美雄全集, 第2巻: 短歌2』はありません。
【参考文献】
竹柏会 1930 『心の花』34(10) 東京: 竹柏会.
松本 良三 1935 『飛行毛氈』 石川 信雄(編) 東京: 栗田書店.
石川 信雄 1936 『シネマ』 東京: 茜書房.
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