こんにちは。文芸研究同好会です。
全員共通のテーマで作品を書くお題企画の5月分です。
5月のお題は、『鉄道旅行』でした。
以下に作品を公開いたしますので、ご笑覧くださいませ。
※描写はすべてフィクションです。攻撃的な意図はございません。また、作者の自由な表現を尊重しています。ご意見のある方は、文芸研究同好会までご連絡ください。
ラストシーン/空色さくらもち
タイタニックの書きたいところだけパロディ
舞台⋯魔法士養成学校。ホリデー中の故郷。
ルキ⋯視点主。獣人。リューペン国スラム街育ち。金物に目がない。17歳。
クレア⋯リューペン国第二王子。獣人。19歳。現王(実兄)と国に不満を持っており、同じ部活で出会ったルキと共に謀反を企んでいる。ルキとは恋人関係にある。金に執着がない。
シュリ⋯クラゲの人魚族。下半身に鱗が付いている。宝石のコレクター。名前だけの登場。
ホリデーも後半。一等専用デッキでグラスを呷るクレアさんを見た時は、一瞬仕事中だということを忘れ、持っていたトレーを落としてしまいそうになるくらいには慄いた。ゾッとして、股の間がひゅうと冷たくなった。それは彼から殺気だとか怒気とかを感じたからとか、そういうんじゃなくて。なんて言やいいのかわからないけど。例えるなら、満たされたグラスの中の、あとほんのひと押しでこぼれ落ちてしまいそうな水滴を見ているような。
それくらい、首から上を船体外に放り出し、天を仰いで手すりにもたれ掛かる姿が危うげで。
「っく、クレアさんがどうしてここに!?」
「んァ?……ルキ?お前こそこんな所で何してんだ」
「オレはバイトっすよ。労働系じゃないのに高収入な上に、急募だったからお堅い手続きとか必要無かったんです」
元よりほぼ闇バイトみたいなもんで、書類審査もほどほどにトントン拍子で採用されたのだ。
「へぇ。」
自分で聞いておいてさして興味無さそうな短い返しだったけど、話しかけたら意外と普段通りで少しほっとする。
「そんなことより!クレアさんはここで何してたんすか?この船、確かオークションの」
「あぁ。これでも一応王族なもんでな、ご招待を受けたんだが」
クレアさんはふいっと視線を逸らして、左手に持っていたワイングラスを適当に揺らす。
――ああ、つまらなかったんだな。グラスの中のワインが波打つ。
「ルキ、」
「はい」
「不味い」
「はい?」
「不味ぃんだよ、このワイン」
「あぁ、ハイハイ」
今お取替えしますよ、っと。
赤黒い液体の入ったグラスを受け取ってトレーに乗せ、新しいグラスを渡す。オレンジ色の、シロップ漬けのまたたびがほんの少量混ぜられたお酒だ。クレアさんがたまに薬術の実験と称して作っていたけど、オレらの国に昔から伝わる公式なお酒。
「ん…」
一気に半分ほど呷ると、はっと感嘆のため息を零した。口元には心なしか満足気に歪んでいる。へへ、美味いんだな。
なんとなく、その仕草が嬉しくてたまらなくて、同じトレーに乗っていたサンドイッチとワンカップのスープをも押し付ける。クレアさんは片眉を顰めて、グラスを手すりに置くとサンドイッチとスープを受け取った。グラスの中のお酒は船の震えに合わせて不安定に揺れている。
「……おい、俺はランチなんて頼んじゃいないが」
「オレからのサービスッス♡」
「金は取るのにか?」
「えー?いいじゃないっすかぁ〜。お眼鏡にかなうモノなかったんでしょ?可愛い可愛いクルーにチップあげると思って、ね?ね??」
「チップねぇ。なら、相応のサービスを期待しても」
「俺に出来ることなら、金次第でなぁんでも!」
「…ハッ。とんでもねぇ船だな」
短く笑うと、クレアさんはサンドイッチを齧った。一口がデケェ。あっという間に玉子の黄身がこんにちはする。ちなみにサンドイッチとスープはオレの昼用に賄いでテキトーにこしらえたものだ。キッチン周りはさすがにあんま使わせてくれなかったから、軽いのしか用意できなかったけど。つまり今オレは結構な空腹。
「でも悪くないでしょ?」
「まぁ…そうだな。船も、たまには悪かないな」
そう言って本当に「悪くない」って顔をするから、この人はずりぃんだ。こう、なんというか擽られるんすよね。本人はそんな気全くないんでしょうけど。
「って、あーっ、もうベーコンだけ食わないで野菜も食べるッス!」
それはそれ、これはこれ。ダメなもんはダメ。するとクレアさんは鬱陶しそうに、犬でも追い払うように手に持った何かをパッパッと振る。
「これ持って、今晩スイートに来い」
「んぇ?なんすかこれ」
金で出来た薄いプレートのようなもの。売れんのかな、売れるだろうな。重さからして純金だろうし、高値で売れそうだな。
「言っとくが、売るなよ」
「やっ、やだなぁ〜。売らないっすよ」
確かに一瞬過ぎったけど、さすがに船の刻印が入ってちゃなぁ。この船、色々と調べたけど黒いし。欲しがる物好きの方が珍しいだろう。それによく見るとこれ、ルームキーらしい。しかもスペアの。
「って、んぇ?!クレアさんスイート取ってるんすか!?」
「当然だ」
あ〜〜〜、まぁそうか。いやクレアさんも王子だったっけ。それならスイートを用意されているのもおかしくないか。つい、船体にもたれ掛かってサンドイッチを食う様があんまりにも王子らしくないもんだから、うっかりしていた。
「面倒だからなるべく誰にも見られるなよ」
「りょーかいっす」
すっからかんだった胸ポケットも、キーを入れるとずっしりと重たくなった。うひゃあ、これほんとに売っちゃだめかな。
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ディナータイムが終わり、今日のウェイトレスの仕事はおしまい。だけど、オレにはまだ大きなお仕事が残っている。
「クレアさーん、お夜食持ってきたッス」
昼と同じトレーに乗ってるこれももちろん賄いリゾット。ちなみに昼は何とか調達出来たから食いっぱぐれることは無かった。それはそれはお優しい客のおかげでね。
それはそれとして、しばらく待ってみたものの部屋からクレアさんの声が聞こえない。いや自分で呼んどいて本人不在ってなんなんすか。
「クレアさぁん?」
やっぱり返ってこない。
「んま、いっか。クレアさんのことだから寝てるか、寝てるか、寝てるのどれかだから、勝手に開けて入っちゃお」
ルームキーも貰っちゃったことだしね。胸ポケットからプレートを取り出して、ドアノブ上のセンサーに近づける。ピコン、と電子音が鳴ってドアのロックが解除された音が鳴る。遠慮なく金造りの厳かな重たいドアを引いて侵入する。うへえ、ご立派なもんで。オレが使ってたウェイトレス用の共同ルームも中々に広かったけど、さすがスイート。余裕でサッカー出来ちゃいそう。
「んで、クレアさんは〜、と」
だだっ広い部屋を見渡しながら歩いていると、金と白のギラギラの柱から無駄に長い脚とライオンのシッポが覗いた。さらに近づいて、ソファに脚を掛けて寝ているのだと分かった。
「あ〜、いたいた。んもー、クレアさんったら呼んどいて居眠りッスかぁ?薄情なんだか、」
ら。と、冗談交じりにそう言おうとした時、クレアさんが寝こけているソファに何枚もの紙っぺらが散らばっているのに気づいた。もう、ここでも散らかしてるんすから。と拾い集める。てか何だこれ?そのうちの一枚を手に取って眺めてみるとどうやら行方不明者リストをまとめた資料らしく、
『――――――、△△歳、○○○○孤児院出、――時頃より行方不明通報有』
と機械的な文字が打ち込まれていた。ふうん。でもなんでこんなものクレアさんが?
「夜這いに覗きなんて良い趣味してんじゃねぇか、ルキぃ?」
「くっ、クレアさん!起きてたんすか!!」
「今起こされた。水」
まだ眠たそうに欠伸を噛み殺すクレアさんにテーブルの上の水差しを渡す。その時視界に入ったウェルカムフルーツのバリエーションに、思わず胸が踊った。仕方ない。これは性なんす。あとで日持ち良さそうなのいくつか貰おっと。
「それ、ご実家からっすか?」
写真付きの資料を指すと、クレアさんは目線だけ落とした。
「あぁ。オニイサマ直々のおつかいだ」
「へぇ。この船と何か関係が?」
「お前、俺が訳もなく、こんなくだらないオークションに参加するとでも?」
「まぁ、そうっすよねぇ。この船のオーナー、調べてみたら前科有りだったし名義変えてる時点で何かあるなぁとは思ったんすけど」
ニコラス・クック。元の名をクリス・ポーラ。以前、某別国でヤクの密売に携わったとかなんとかで、一度政府の監視下にあったそうだ。
「最近うち、リューペンで未成年の誘拐事件が多発しているのを知ってるか」
「あぁ、今朝部屋のテレビで見ました。主に街の方の女児を狙ったやつッスよね」
「そうだ。そいつの首謀者こそがこの船の持ち主、ニコラスだ」
パラ、と見せられた写真。そこに居る少女はさっき資料に写っていた少女と顔の造形がかなり似通っていた。ただ一つ、体の一部が欠けていること以外は。獣人族はオブラートに包まないで言えば、生まれ落ちた時から獣の耳やシッポ、羽のように人属より多く『オプション』がついている。すると、物珍しい目で見られることも少なくはなく、中にはこうして運悪く旅人に攫われ、売り飛ばされる奴だっていて。近頃は規制改変で貿易の口も固くなったのもあってかめっきりそういった事件は無くなりつつあったんすけど。
つまりはリューペンで攫った少女をこの船で白昼堂々と売っていたってわけだ。オレも出身欄が書類にあったけどそこで省かれなかったのはリューペンの中でもスラム街の出だったからか、それとも単に舐められているのか。おまぬけさんなだけなのか。
「ここまでは上も分かっているんだが、兄貴曰く確証がいまひとつ足りてねぇんだと。なんと言っても締約国であるお隣の国との摩擦は出来るだけ減らしたいんだろ」
「ふうん。でもいいんすか?第二王子であるクレアさんが直々に接触なんてして」
「あぁ。聞いている限りニコラスは金の匂いと若く金になりそうなガキに目がない」
「え?まさかクレアさん、それで?」
目が合うとニヤッと笑う。いやいや、え?自分をわざわざ売り込むような真似するタイプでしたっけ?
「自ら立候補したわけじゃないっすよね?」
「なわけ。まぁ、俺ほど条件に適している人物がいないと上方は判断したんだろうな。となると俺の意思なんてそこには関係なくなる。一瞬でな」
『条件』という言葉の裏に隠されているものを考えると、柄にもなく同情してしまう。一瞬ヒュッって心臓が縮む感覚。そうだ、昼にクレアさんを見た時とおんなじ。「ま、確かにアンタなら大丈夫だろ」って思うのと同時に、ふと垣間見えるアンタの危うさが怖い。もしあの時、昼にクレアさんを見た時。オレが呼び止めなくって、あとちょっと後ろに体が傾いて、それに無抵抗のまま海に吸い込まれていって。そうなっていたらと思うと背筋が凍る。心臓が縮むどころの話じゃねぇ。今ここでアンタがまた落ちそうになった時、オレはまた拾ってやれるのか。
「ッチ。ホリデー中、一人になれんならと思って引き受けたが……中々に面倒だ」
そんなオレの心情なんてまぁ、つゆ知らず。しばらく資料と睨めっこしていたクレアさんはクソでかいため息を零して、オレの持っていたトレーからリゾットを取る。優雅にスプーンを動かす動作は、場所が場所だとこんなにも本物の王族に見えるんだな。
「ほうれん草」
「ハイハイ」
あー……まぁ、そうっすねぇ。怖い、怖いけど、だ。どうせオレはどれだけ目線を逸らしたって、どこへ行ったって。ほら、こんな風にまたアンタを見つけてしまうんだから。こんな広い海の中、待ち合わせをした訳でもないのに今じゃ同じ部屋ん中。そういう運命なんだ。
そりゃあ例えこの人が、今ここでぶっ壊れて闇落ちしても多分オレ一人じゃ太刀打ち出来ない。正気に戻せないだろう。でも、それでもまぁ、一緒に落ちるくらいのことならオレでも出来るんだと。なんならオレにしか出来ないんだと。そう言ったら笑われっかな。でも、だってオレたちはなんといっても共犯者っすからねぇ。行先はおんなじなんだ。
「あむ……なんぁ、おいひーじゃないふか」
「草は草だろ」
それに、ほうれん草のあーんをしてくれるくらいの距離にはなれたんだ、これはもう自惚れてもいいよな。
「ね、クレアさん」
「んァ?」
「お付の人はいないんです?」
「あぁ。お前が来ることを事前に伝えておいたからな。待機させてる」
「へへ、じゃあ問題ないすね」
「あ?」
「ご褒美の前借りにクレアさんからキス、してくれません?」
頼もしい部下がいて幸せでしょ?
と提案すると、一瞬目をまぁるくさせてから呆れたようにすっと細めた。
「夜食のことなら頼んだ記憶は無いんだがな」
「うはは、いいじゃないですかァ。減るモンじゃないし、可愛い可愛い恋人にチップあげると思って!」
「ハイハイ…またそれかよ」
そんなムードもへったくれもない誘い文句と、よりによっておでこに落とされた鳥さんみたいなキスにどちらともなく吹き出して。らしくねー、なんて。
「んもー、ちがくて!わかってんでしょ」
「は。さぁな」
あくまでもしらを切るクレアさんの唇に、はぷっと口を重ねる。可愛らしいリップ音が鳴るほどの甘ったるいやつ。そっから数秒、オレの反応に満足したのか急にクレアさんのスイッチが入ってがっついたものになる。目が合うと目が楽しそうに歪んで、子猫がじゃれるみたいに唇の端を噛んでくる。しかも力加減は獅子の本噛み。鉄の匂い〜…あー、場所が場所なのに全然ロイヤルじゃねぇ〜〜。
「ん…っ、ぅ」
「……っは…ねえ、移動しません?」
「…しない」
「でもさすがにこんな高そうなソファ汚せませんよ。クリーニング代なんて考えただけでしっぽ縮まるッス」
「そうじゃなくて、しねぇって言ってんだ」
「えぇ!?なんで!」
てっきりクレアさんもその気になってきてると思ったのに。すると、クレアさんはまた犬を追い払うみたいに「うるせぇ…」と鬱陶しそうに手を振った。
「俺は盛るためにお前を呼んだわけじゃないんだがな」
「んえ?違うんすか?」
「オイ」
の割には夢中で追いかけてきたけど。なんてもっと余計なことは言わぬが仏。
「とりあえずシャワーだな」
「なぁんだ、違わないじゃないすか」
「違ぇ、汗と染み付いた油汚れを落としてこいって言ってんだ」
眉間に皺を刻んだクレアさんに押し込まれて、合法的にスイートルームのシャワー室に入る。
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「おわ……すげえ〜」
シャワーヘッドもバスタブも照明も、所々の装飾が金ピカで高級そう。
オレが数十人くらい余裕で入れそうな大きさのバスタブの、湯が出てくるところがライオンの口になっていて。あ、クレアさんだ、って爆笑しつつ、シャワーのハンドルを探す。けどどこを捻ってもシャワーから水が出ない。
んえぇ…セレブの風呂わかんねぇ〜。
「壁に付いているやつだ」
ドアの向こうからクレアさんの声が聞こえる。壁、ってことはこの小さいドーナツみたいな輪っかか。試しに右回りに回してみる。と、
ズシャァァッ
「おわぁ!?」
勢いよく冷水が降り注いで、慌ててドーナツを反対側に捻る。
「というように右回りが水、左回りが湯だ」
「遅いッス〜…」
くそ〜。至極楽しそうにしちゃって。シャワーの出し方ひとつすら分からなかったことも、それが最初からモロバレだったのも全部恥ずかしい。自分なんて白濁のお湯口から出してるのにね。
ちゃっちゃとシャワーを終わらせて、ニセクレアさんが溜めてくれたお湯にどっぷり浸かる。一日でそこそこ溜まってた疲れが一気に取れた気がして、いやぁ、さすが良い風呂は違うっすねえ。なんて。でもやっぱ毎日使うなら寮の水場のがいいかな。
コポポ…
へへ、まだお湯出してる。健気なことで。
コポ…コポポ……、
本物のクレアさんとは違って文句も言わなきゃ意地悪もしない健気な様子にちょっと可愛いな、なんて思う。うーん……やっぱこのライオンだけ貰っちゃだめっすかね。だめだよなぁ。
ほどほどに温まって浴室から出ると、オレの服がカゴからごっそり無くなっていた。
「オレの服知りません?」
「洗浄魔法かけてる。あの格好じゃ目立つからな」
いつもその洗浄魔法かけりゃいいのに。オレの世話係としての仕事減っちゃうし言わないけど。
「へ〜い。その辺のやつ、テキトーに借りていいっすか?」
「あぁ。好きにしろ」
「シシッ。やった」
なるべく高そーなの選ぼうっと。
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「……”借りる”だけにしては随分豪勢に盛ったな」
「や、やだなぁ、郷に入っては郷に従え、っすよ。ロイヤル度がマイナスのオレにはこれくらいが丁度いいんス」
「なんでもいいが、そのジャケットは置いてけ。荷物になる」
「そういや、どこ行くんです?」
言われた通り着込んでたものをいくつか脱いで身を軽くする。
もうすっかり夜だし、ディナーが終わった今とくにイベントもないはずだ。
「着いてからのお楽しみだ」
うわ〜、「お楽しみ」が一番似合わねえお顔。
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キラキラした廊下を並んで歩く。
仕事で来ていたクレアさんは、昼は煌びやかですっかり王室の人間っぽい服を着ていたけど、今はいくらかラフなものになっている。オレが着ているのも、ウェイトレス衣装よりも品があって良い所出って感じがする。へへ、ばあちゃんにも見せたかったな。
エレベーターでいくつか階を下ると、一際でかいドアの前に着く。両脇には警備員がいて、クレアさんが何かプレートを見せると、恭しく腰を折ってドアを開けた。鈍い音が鳴って開くと一斉にドアの向こうからの喧騒が漏れ出る。
「なんですかこれ」
「大人の社交場だ。限られた階級の者だけが参加が許されてる」
「ふうん?で、どこにニコラスがいるんです?」
「いや――、ここにニコラスはこない」
「?じゃあなんでここに?」
ウェルカムドリンクを受け取ると、
「先を見据えてこういうのにも慣れておいた方がいいだろ。何かとな」
ニッと目を細めて含みのある悪ーい顔をして、色とりどりの人混みの中、スタスタと先を行ってしまう。
あーーーーーー……先ってもしかして、そういう……???
あの悪戯に成功したガキみてーな顔、またしてやられたと思っていても単純な心は軽く踊って踊って仕方ない。もうからかわれてても何でもいいや。
オレも真似てドリンクを受け取って、クレアさんの後を追う。追いながら、テーブルの上のローストビーフやらチーズケーキやらキッシュやらを手にする。へへ、これぜぇんぶ食べ放題なんてほんと夢みたいッス!あーぁ、タッパー持ってくればよかったな〜。
人と食いモンのトンネルが終わると、クレアさんの姿が見える。髭を耳下まで生やした見知らぬ男と話し込んでいたみたいだけど、近くまで来ると丁度話が終わったところか、オレにも恭しくお辞儀をして男が立ち去る。一瞬ふわっと羽織の裾が浮いた気がしたけど気のせいかな。
「随分と楽しんでたみたいだな」
「そりゃあもう!」
口が空になることがないくらい次にこれ、次にこれとサンドイッチを頬張ると、クレアさんは満足気に笑う。
「もうパーティ最高ッス!また呼んでくださいね」
「生憎、俺はパーティは嫌いなんでね。基本招待は受けてないんだよ」
「えぇ〜いいじゃないでふかぁ」
「ハァ、食うか、喋るかどっちかにしろ」
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クレアさんは夜食のリゾットを食べた後ということもあり、骨付きチキン一本だけにとどめた。それをあのオレンジ色のお酒を三杯かけてゆっくり流しこんだもんだから、「帰るぞ」と口先はまともらしいけど鋭い獅子の瞳孔はすっかり猫ちゃんのものになっていた。
部屋に着くとあの高級感溢れるソファに躊躇無く寝っ転がった。
「ん…あちィ」
形だけきっちりしていたループタイをテキトーに緩めて、シャツのボタンを胸元までガパッと開く。まだ自分でボタンを外せるくらいには意識があるらしい。褐色の肌にループタイの飾りのターコイズ色が映える。
「あんだけマタタビ口にすりゃそうなりますよ」
「うるせぇ……グルルルゥ…」
「はは、すげぇ音」
からかってみてももうクレアさんからは寝息しか聞こえてこない。すん、と鼻を鳴らす。覚えのあるシャンプーの香り。クレアさんもあの風呂、入ったのかな。そういえばシャワーの位置まで把握してたし。あー、しくった。それならもう少しゆったり浸かればよかったな。深い意味は無いけど。
「んじゃ、オレは使用人の部屋戻るッスからね」
「……るき、」
「あれ?起きてたんすか」
「…ここに泊まってけばいいだろ」
「んえ?」
こりゃまぁびっくり。んな事、言われると思ってなかった。
「あー…っと、それって、つまりそーいうことでいいんで?」
「ん…うるせえ、二度は言わねえ」
「んはは、後から眠いって言っても聞かないからね」
「フン。やってみろ…やれるもんなら、な」
既に眠たそうな目しておいてよく言う。それでも売り文句に買い言葉。ロマンチックな口説き文句のひとつも似合わないオレたちの情事は、大抵こうやって始まっていく。場所なんて元から関係なかったんだ。
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「ねみぃ……」
「うはは、だぁから言ったでしょ」
「グルルル……」
「おわ、おっかねぇ〜」
船窓から覗く空が薄らと明るみだした。もうちょっとシルクのシーツのとろとろした触感を楽しみたいところだけど、そろそろ行かねぇとバイトが始まる。
「んじゃあ、オレ先出ますんで」
「あァ」
「今日来れないかもしれないから今のうちに!ホリデー終わったらちゃんと学校来るんすよ!」
「ハイハイ」
しっしと手を振られる。この二日間で三回目だ。この冷たさは事後だからか、寝不足だからか。いやいつも通りか。ベッド脇にとっ散らかっていた服を被って、後処理を進める。寝ぼけたフリして何着かパクろうかな。
「オイ」
「へへ、やっぱりバレるか」
そんな感じで名残惜しみながらスイートルームを後にする。
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いやぁ、それにしても昨晩はでけぇ風呂に沢山のごちそう、それから珍しく素直なクレアさんまでついてきて贅沢尽くしだったな〜。オレそのうち死ぬんじゃないかな、ってくらい欲が詰め詰めの日だった。へへ、これでお給料も貰えちゃうなんて。ウキウキと腕まくりをしてウェイトレスや使用人の使う控え室に向かう。と、その時、
ガシッ
後ろから強めに腕を引かれて、慌ててバランスをとる。
「おわわ!?なにっ、」
腕を引いてきた奴のいる方を振り向くと、そこには昨日のパーティで見たあの耳下ひげ男がオレを見下ろして立っていた。
「やっっっっと捕まえたぞ」
「あの…?オレになんか用っすか?」
「黙れ!泥棒め」
ひげ男は昨日見た表情とは違い、急に目ん玉をひん剥いて歯をむき出して怒りを露わにして騒ぎ立てる。
「うわっ、ちょっ、ちょちょちょ、なんなんすか急に!?」
胡散臭いとは思っていたけどここまで豹変するとは。
「黙れと言っている!薄汚い子鼠」
何の話だって言い返そうと試みても、声がちっとも出ない。それどころか体が動かない。まるで強い力で何かに押さえつけられているような。ひげの顔を見ると、激怒している声とは裏腹に顔はニヤけている。あぁ、こいつ最初からハメる気だったんだな。
「どうかなさいましたか、ポーラ様!」
あまりにひげが騒ぐもんだから、長い白髪を後ろで束ねて、燕尾服に身を包んだ執事のような姿の男が駆け寄ってきた。ってか、はぁ?ポーラ??ポーラって、オーナーと同じファミリーネームだよな??うわうわうわ、面倒なことになっちまった。バイトに遅れて、そのせいで減給なんかになったらせっかくの最高デーが台無しッス。
「コイツだ!コイツが私の「人魚の鱗」を盗んだ子鼠だ!!」
「なんですと!」
いや知らねぇ〜〜!とは思ってても声には出せない。なんだよ人魚の鱗って。そんなもん盗むぐらいならシュリくんに頼んで分けてもらった方が早ぇ。あ、でもシュリくんクラゲの人魚か。
「とにかく、コイツが持っているのは確かだ。昨晩、パーティで盗まれる瞬間、服に香水を吹きかけてやったのだ」
「ほう。では私めが代わって確認致しましょう。失礼致しますぞ」
白髪は無言のままのオレになんの疑問抱かないでオレの服を剥いで、ねちっこく裏の裏まで確認する。どうせこいつも共犯だろ、変に演技しちゃって。
「おぉ、なんと!本当だ、ポケットからあの人魚の鱗が出てきたではないか」
わざとらしいセリフとともに白髪に掲げられたのはシャンデリアの光を浴びて、オーロラ色に煌めく宝石のようなもの。人魚の鱗って宝石の名前か。それならやっぱりシュリくんの得意分野っすね。光り物好きだし。コレクターだし。
「まったく、お里が知れますな」
「さぁさぁ…時間はたっぷりとある。説明してもらおうかね」
_____________________
ズガァァァァッ
やたらでかい破壊音のようなものと、大きく揺れる感覚にボーッと遠のいていた意識が覚醒する。
あ〜〜〜〜……寒ぃ。スカイデッキの手すりに重りごと括り付けられて、もうどんくらい時間が経ったんだろ。いつ吊るされたのか、今が何時なのかも何もわからない。ただ、水しぶきが針のように刺さるし、足元に広がる海はインクのようにベッタリとした真っ黒で、もうすっかり夜。バイト、どうなったんだろ。プールやジャグジー、バーがあるのが後部側とはいえ、誰にも見つかっていないということはこっち側には誰も来なかったってことだろうか。まぁ人避けされてたにしろ、偶然にしろ大方ポーラの仕業ではあるんだろうけど。
「はァ……それにしても、」
両手は手錠された上にロープで手すりに括り付けられていて、地味に痛え。腹に巻かれた重りを見て、再びため息が出る。かけられた魔法のせいで声も出せなきゃ魔法も使えない。力んでもただ手首のロープが締まるだけ。すぐ下のフロアからはなにやらバタバタ走る音と騒ぐ声が聞こえてくるけど、何がどうなってんのかサッパリ。
あ〜、これまじでやばいかも。朝から何も入れてない腹がグーグー鳴っていて可哀想。昨日はあんなに詰められたのに。やっぱタッパー持ってけば良かったッス。まぁ持っててもこの手じゃ食えねぇけど。
と、その時、
バタバタと走る足音が近づいてきて、うわ、またアイツらかと身構えていると、降ってきた声は想像していたものとは違って、なんならそれよりもっと悪人みたいな声だった。
「部屋に来ねぇと思ったら、こんなところで水遊びか?ルキ」
クレアさん!!!!!!!
「んんー!!んーー!!!」
「あ…?」
んぐんぐと唸っていると、察しのいいクレアさんは杖を取り出して軽く一振した。すると今まで喉になにかが詰まっていたような感覚がすうっと無くなった。
「っっ、クレアさん!!」
「なにしてたんだこんなところで」
「それが俺にもサッパリで。急に『私の宝石を盗んだ泥棒め!』って言いがかりつけて来たヤツらに監禁されたッス」
「へえ。まぁどう考えても日頃の行い故だな」
うっ、言い返せねえ〜…。するとクレアさんがため息をつきながら、魔法で両手の縄を解いてくれる。魔法で思うように動かず、手すりを掠めて掴み損ねてしまった右手を、クレアさんが上から掴んでくれた。ひえぇ……さすがに肝が冷えた。手錠と腹の重りは特別な加工が施されていて、一切の魔法も効かないらしい。変なところに手込みやがって。
「で?監禁されてるってことは肝心の宝石がお前から見つかったって事か」
「そうッス。なぜか服のポケットに入ってて」
「……はァ。綺麗にハメられたな」
「心当たりが?」
何か分かったのかクレアさんは額に手を当てて深いため息を吐く。
「とにかく時間が無い。このまま海の藻屑となりたくなかったらお前もこの重りを外す方法でも考えろルキ」
「何をそんなに慌ててるんで?」
「さっきでかい物音がしただろ。船の一部が氷山に当たって破損しているらしい」
「んえぇっ、大丈夫なんすかソレ」
「クルー共は客のパニックを抑えるため、ないしはボートを下ろすための時間稼ぎに問題ないと説明してるようだが、この揺れ…室温の低下から見て少なくともボイラー室付近は確実にダメになっている」
「やばいじゃないっすか」
あー、何となく分かってきた。あのジジイと執事はオレを監禁したまま、船諸共沈めようとしてたんだな。
「持ってせいぜい一時間と言ったところか」
淡々と状況を説明していく。なんでむしろそんな冷静でいられるんだろ。あと一時間でこの船は壊れ、逃げそびれた奴らはもれなくこの黒い海に投げ出されるって言うのに。
「そういや人は?水没してるなら尚更スカイデッキに人がいてもおかしくないはずじゃ?」
「あぁ。一等客室のやつらはボートで半隻分使って降りて、その他の客層はまだ船内に押し留められてるんだろ。混み合うと指示が通らないからな。それかそれこそ鼠みたく反対側のデッキに逃げ込んだか」
「反対側?」
「少しでも海と距離がある方。つまり、俺たちがいる方が先に沈むってことだ」
「あ〜…そういうこと」
クレアさんは何も言わないけど、既にボートで降りたらしいその”一等客室のやつら”である自分はボートに乗ってないのはどうしてか。聞いたら怒られっかなぁ。怒られるよなぁ。
それからしばらくの沈黙。クレアさんは何か難しい顔をして考え込んだきり何も発さない。こうしている間にも船体は段々と海へ近づいていっているし、遠くの反対側からは人の絶叫とミシミシと船が壊れていく音が絶えず聞こえてくる。早くしねぇとボートすらなくなりそう。
「あのー…クレアさん?そろそろ腕が痛いなぁ、なんて」
「あァ?厄介な魔法かけれてくるお前が悪い」
「うぅ。でも、このカッコなんかふつーに恥ずかしいッス!」
「我慢しろ。この俺が支えてやってるんだ、これ以上ない安置だろうが」
するとこんな状況だというのにクレアさんは口元に自信ありげな悪い笑みを浮かべる。我慢ったって、重りのつけられた腹から下を海側に投げ出して、手錠で繋がった両腕だけクレアさんに引っ張ってもらっている状態で完全にストラップだ。いくら体格の差があるとはいえ、同じ男として結構恥ずかしい。
「絶対離すんじゃねぇぞ」
と言ってはいるけど。クレアさんは頭がいいから、本当はもう分かってるんでしょ。既にボートが全体の半隻も出ちまった。今のこの船に、あんたより強い魔法士も大男もとっく残っていない。残っているのは痩けた下級民族の男共か、老夫婦ぐらい。その上こんな人気のない場所。助かる方法なんて、オレがこの手を振り払うか、あんたが指の力を抜くかの二択なんだって。
「クレアさん、手、離してもいいっすよ」
「…信じられないとでも言いてぇのか」
「はは、知ってるでしょ。オレが王とか権力者とか嫌いなの」
嘘。クレアさんのことは嫌いじゃない。大好きッスよ。言わないけど。するとオレの手首を掴む力がさらにグッと強くなった。硬ぇ…ゴツゴツしてる訳でもないのに、指先の力が半端じゃない。
「あー!今わざと力入れたでしょ」
「ギャンギャンうるせぇ。黙ってハイエナらしくぶら下がってろ」
「えぇ〜なんですかそれ」
オレお得意の口八丁を持ってしてでも、クレアさんは尚も手を離す様子がない。これじゃあいずれ二人とも海に落っこちてしまう。仕方ないから説得は諦めて違う方法を探すしかない。ってかぶら下がってるハイエナってそれ死骸のことじゃないすか。口だけの抗議しようとしたその時、船がグラッと揺れて、ザパァーン…と足元のすぐ下で海水と船が波打ち合う生々しい音が聞こえる。一気に海が迫った。
「重り、結構クるでしょ」
「はん。いいや?これくらい何ともねぇ」
そうは言っても足場の悪い中、オレの体重プラス重り分を支えているのだ。さすがのクレアさんにも体力の限界が見え始める。どんだけ部活で体力を消耗しても滅多に歪まないおキレ〜な顔に、大粒の汗がびっしりと埋まって、眉間のシワはいつも通りだけど余裕は無さそうで。
「スゥー……オレ、魔法学校に入学してよかったッス」
ねぇ、クレアさん。オレやっぱ魔法が使えてよかった。
あんたのと比べりゃしょぼい魔法かもしれないけど、それでもオレの個性魔法がこれでよかったんすよ。
「この船との出会いは俺へのご褒美だったんす!面倒な審査もないし、時給も良いし、案外楽だし」
なにより、最後にアンタに会えたからね。船に乗らなきゃこうならなかったかもしれないけど、でも代わりにアンタがこうなっていたかもしれないならそれよりはずっとマシだ。
あんたを真似て歯を剥き出して笑ってそう言うと、キョトンと珍しい顔になってから、今言うことかよって顔をする。へへ、そうですよ。今、改めてそう思ったんす。だって、他の誰でもないあんたを守ってやれるかもしれないから。おこがましくも、そう思ったから。
「…あーーー……、なんだかなぁ。あんたのこと、最後の骨のひとつまで喰らうのはオレがよかったな」
どこかの伝説の物話みたいに。当然のようにその未来にいるのはオレだと思ってた。返事は返ってこない。普段のあんたならこんな冗談、こともなく躱すでしょうに。
あぁ、本当に、なんだかな。目頭がギュゥと熱くなる。
これでもスラム街育ち、常に死と隣り合わせの幼少期。一々増える墓場に悲しんで回ってたら日が暮れても尽きないもんで。いつからか身内が死ぬのにすら慣れて、おかげさまでしんみりしたことは性にあわないのだ。それなのに、この目はまだ往生際悪く、寂しいだなんて言うのか。
泣くな、泣くなよもう。
「……っうはは、んなおっかない顔しないでくださいよ。しっぽ、また丸まっちゃう」
本当は違う意味でびびって丸まっているんだけど、そんなこともきっとクレアさんはお見通しの上であえてそこには触れず苦虫を噛み潰したような表情をする。だからオレも、アンタが強がって眉間にしわを寄せてるんだってことにも気づかないフリ。
「…馬鹿か。余計なことは気にしなくていい。くだらないこと言ってる暇があるなら手錠か重りを外す方法でも考えてろ」
それは無理ですよ。だってクレアさんの魔法をもってしても重りが外れることはなかった。ある程度の魔法は通用しないことを意味している。だからね、手錠には魔法は通じない、オレの体も動かない。ただ、一つだけ動かせるものがある。
「頼もしいっすねぇ。でも、もういいんすよ」
「あ?……まてルキ、何を」
もう、いいんです。
「『君の思うままに オレが思うままに』」
ほら、ね。オレの体は動かなくても、相手のことは動かせる。自分の内側からじわじわと魔力が溢れ出すのを感じる。体はこんなにも「生」を示しているのに、そこで初めて「死」を実感した。あぁ、オレ死ぬんだな。
「っ、てめ…!馬鹿!死にてぇのか!余計なことは気にしなくていいと言っただろうが」
「おわぁ、いててて」
焦ったような声で唸るクレアさん。さっきは言わないつもりだったけど、
「へへ、クレアさん。大好きッス」
「――……ッ」
へへ、おまぬけな顔しちゃって。
「ちゃんとボート、乗るんスよ。もう三等くらいしか残ってないかもしれないけど、一等専用じゃなくても文句言わないで、ちゃんと乗って、国に戻って、それからいっぱいいっぱい生きるんです」
「違、……もういい、一旦口を閉じろ」
「国に…、王サマに屈しちゃダメっすからね」
「もういいって言ってんだろうが!」
どうしてあんたが泣きそうな顔するかな。王様に涙は似合わないよ。
「……っわかった、国に戻るまで大人しく出来てたら俺から死ぬほどキスしてやる。肉だってたらふく食わせてやるし、宝石も好きなだけくれてやる。服もパーティもなんでもだ。どうだ、お前が欲しがってた物だろ」
「へへ、そりゃあ最高ッスわ」
「なら、」
「でもごめんね」
今のオレが一番望んでんのは、あんたがちゃんと生きて帰ってくれるってことだから。柄にもなく、そう思っちゃったから。
「『シャルウィーダンス』!!」
ほら、最後なんだからもっと笑って。手錠に嵌められた自由のきかない左手。クレアさんがオレの右手を繋いでくれている左手を、ゆっくりと指を開いていく。オレの個性魔法で操られて歪な形で無理に持ち上げられた口角はどう見ても笑顔じゃなくて、うはは、笑顔が下手くそっすねぇ。なんて。
「っぐ……や、えぉ…!る、ぎぃ…っ」
最後に見るクレアさんの顔は、汗でぐちゃぐちゃで。あーらら、オレのために必死になっちゃってまぁ、らしくない。けど、うれしい。でも余計にぬのが怖くなっちまうからやめてほしいなぁ。
「ばいばい、クレアさん」
「…………ッる、ぃーーーーーっ!!」
完全にクレアさんの手が開かれて、オレとクレアさんを繋ぐものがついに何も無くなって。フワッと宙に浮いた感覚。うぇ、慣れねぇ。
でも、あぁ。あと数秒でこの感覚ともお別れなんだ。クレアさんの温もりが手に残ったまま、オレは死ねるんだな。あー、悔しいな。こうなるならもっとパーティで食い溜めておけばよかったな。まだ王サマもリューペンの国も何も変わっていないのに、オレは何も出来ないまま終わるんだ。リューペンをひっくり返せないまま、終わるんだ。クレアさんを覚えたまま、死んでいくんだ。
目の前に広がる海は一面真っ黒で、反逆者にはお誂え向きっすねぇ。
「馬鹿!諦めんな、手を伸ばせ!!」
上の方で何やら声がする。目の前がぼやけてて、何も見えないしよく聞こえないけど。さっきまで考えてたからかな、クレアさんの声に聞こえた。よく部活で聞くそれによく似ていた気がして。もうこんな早く走馬灯が流れるもんなんだ。なんて。消えかけていく意識の中ぼんやり考えていると、重りがついて重かったはずの体が急に軽くなる。え?あれ??
急に落ちていく感覚が無くなって困惑している間にも、首根っこの辺りを掴まれて体がぐんぐん浮上していく。まるで自分の体じゃないみたい。ど、どうなってる?
代わりにヒュンヒュンと風を切る音と、濡れた服が急速に乾いていく感覚に恐る恐る目を開く。
「…………って、クレアさん!!?」
さっぱりどういう事だかオレはついさっき別れを告げた恋人と現世に引き上げられている。それどころか今なんてさっきまでいたスカイデッキより高いくらいの高さにいる。目の前にはクレアさんのブラウンの長髪が靡いて、逞しい肩がチラチラと見える。そしてなによりケツの下の箒の柄。
「クレアさん!!?これは一体どういう事っすか?」
「こンの馬鹿が!!俺は我慢しろと散々言っただろうが」
そう怒りを露にするクレアさんはさながら本物の獅子のようで。んひぃ〜……怖ぇ。この大海原に沈むより怖ぇ。
「ボスの言いつけ破りやがって…!端から死ぬ気でいる馬鹿があるか!俺が箒を取り出すのに手間取ってたらどうしてたんだ、お前が…ッ」
「ふ、はは」
「あァ?何笑ってやがる」
「…あっ、えーっと……珍しく必死な顔だなぁ〜なんて思ったりして」
あー、しまった。これ「反省してないだろ」ってキレられるやつだ。
「てめぇ…反省してねえな」
うはは、ほらね。
「……ったく。重りのせいで上昇出来ねえ、ボートで一旦体勢整えるぞ」
「へーい……って、んえぇ!?ボートって、ボート取れてたんすか!?」
「いや。少し先になるが万が一のために王室の船を用意させてある」
「ってことはですよ??オレ最初から海に落っこちなくてよかったってこと!?」
「だァから俺はずっと待てって言ってたろうが」
「いやいやわかんないっすよぉ…」
クレアさんに盛大なため息をつかれる。
「へへ…でもよかった」
「あ?」
「これで、アンタの骨の一本まで喰えるのはオレでしょ?」
「………………そりゃよかったな」
前を向いていて顔はよく見えないけど、ちょっと間が空いて素っ気ないフリの声が返ってくる。「へへっ、でしょ?」と本格的に笑いだすと腹の重りが揺れて痛ぇ。すると箒を操縦しているクレアさんからも「揺れるから動くな」と声が上げる。あぁ、もう出来ないと思っていたフツーの会話。それが出来ているのだと。
「信じらんねぇ…」
でもすごく良い。すごく嬉しい。こういう誤算なら大喜びしちゃう。
「ニコラスだが、」
「うげ」
そういえばそんな男もいましたね。思い出したくもねえ。
「これだけの騒ぎになったんだ、とりあえず監視はつくだろ。リューペンに帰ったらまずは兄貴への報告と愚痴と文句と」
「後半全部同じじゃないすか」
「それからお前の、」
「オレの?」
もしかしてオレの労い…!?とオレに無駄な期待をさせておいて多分この人はきっとこう言うんだ。
「慰謝料請求もたんまり請求しねえと、なァ?ルキ」
ほらね。
ん〜〜〜〜〜…!
「へへ、さすがっすわ!!!」
まぁこれでこそオレのクレアさんだよな。
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閲覧ありがとうございました。タイタニックいいですよねぇ。
「船への切符は神からのご褒美だった」「君に会えたからね」
ってセリフが特に大好きで忘れらない。何回でもときめいてしまいます。
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