【リレー小説】FINE お化け屋敷

こんにちは。文芸研究同好会です。

部員が決まった文字数で回して書くリレー小説です。

以下に第3話を公開いたしますので、ご笑覧くださいませ。

※描写はすべてフィクションです。攻撃的な意図はございません。また、作者の自由な表現を尊重しています。ご意見のある方は、文芸研究同好会までご連絡ください。


「頼むっ、衣装を取り戻してくれっ!」

恐ろしい勢いですべてを語った平井にオレはため息をこぼした。チラリと椿を見れば眠そうにあくびをこぼしていた。おい、なんでもいいから下絵を描け、暇だろう。

今は夏休み。あちこちのクラスで文化祭の準備が進められていた。オレたちのクラスはスタンプラリーをする。台の設置とか紙の調達とか景品の用意ぐらいでオレたちは部活を理由に免除されていた。

というかさっさとポスターを描けと生徒会にせっつかれている。締め切りは八月に入るまで。つまり七月三十一日だ。そして今日は七月二十五日。

はっきり言おう。案がない。正直、今年の文化祭のテーマを聞いたがいまいちピンとこない。

というかオレ的にはどうでも良い。繋ぐとか想いとかずいぶん勝手だと思う。想いの継承がいつだって良いとは限らないし、繋ぐなんて下にとっては荷が重すぎる。まあ、生徒会はそこまで考えていないだろうし、考えていてもオレには理解できない高尚な精神なんだろう。

おっと、話がそれすぎた。戻そう。

「えーっと、つまりこういうことで良いか?」

遡ること数日前。

平井のクラスの五組は文化祭の準備に勤しんでいた。その日、お昼休憩を終えて準備作業に戻ると、お化け屋敷で使うお化けの衣装二着が消えていた。そのときは修復でもしているのだろうと気にも止めていなかった。

しかし数日後、事態は変わった。

そのお化けの衣装を着た何者かが学内を歩き回っているらしい。歩き回っているだけでなく、見かけた生徒を追いかけ回すというオプション付き。それはなかなかの恐怖だ。おまけに足も速い。追いつかれておどかされる生徒数が片手でおさまらなくなってきた頃、平井は三谷に聞いたらしい、オレたち美術部の裏の顔を。

「衣装を取り戻すって言ってもなぁ……」

あまり乗り気じゃないのか、椿は珍しく渋っている。かくいうオレもちょっと渋っている。だってこれは明らかに人為的なものだし、オレたちを巻き込もうって魂胆が見え見えだったから。

それでも、今まで何でもござれでやって来たオレたち『相談屋』はこれを引き受けることにした。何でも引き受ける。それが前部長から教わった美術部の『相談屋』の極意だ。それは前部長から繋いでほしいと言われた想いだった。

それを伝えれば平井は嬉しそうな顔をした。

「それじゃあ、行くぞ!」

すっかり元気になった平井はそう言ってオレたちの手を引く。ズルズルと引っ張られ、美術室を出る。なんでオレは腕を掴まれているのに椿は掴まれてねーの?え、なんで?

オレが椿を見れば彼はため息をついていた。その顔はさっさと暴こうって顔だな。おいおい、手加減もなしかよ。

「当たり前だろ」

だから怖いって。エスパーかよ。

ざわめきが広がる。そりゃそうだ。あんな和風のお化けを見れば怖くもなるだろう。けれど、ところどころにサクラがいるのが確認できた。

え?どうやって見分けているか?簡単だ、そんなこと。サクラはわざとらしいんだ。セリフが被らないようにするとか、ちょっと小賢しいけどそれが逆に証拠になっている。

「あれだ!捕まえてくれ!」

「んじゃあ、さくっと捕まえますか」

綾が、と椿は言う。オレはそうだろうなあ、と笑った。こういう荒事は完全にオレ向き。椿はいつも高みの見物だ。知ってるし分かっていた。でもさあ。

「たまには協力プレイでもいーじゃんかよ」

「ほらほら早く。さっさとやっちゃって」

椿に背中を蹴飛ばされる。おかげで集まっていた生徒の垣根から追い出された。くっそ、地味にいてえ。加減のかの字もないのかよ。

オレは顔を上げる。和風のお化けはお面だけが怖いけれど、他は動きにくそうという感想しか抱けなかった。うん、真っ昼間に見るせいか効果は激減している。

「そういうわけで大人しくお縄につけ」

するとそのお化けは身軽にベンチを使って逃げ出した。生徒の垣根を飛び越えたのだ。うわ、身軽すぎ。スタントマンみたい。

だけど。

「よっと……」

オレは同じようにベンチを使って生徒の垣根を飛び越えた。周囲から歓声が聞こえる。まあ、そうだよな。普通は驚くさ。でも驚いてない人もいるな。知ってたのかよ、オレが運動神経良いって。

「カツサンドで!」

お化けが駆けていった方へ走りながらオレは声を張り上げる。これだけで椿には分かるだろう。あとはオレがそこに行くだけだ。

目標物、和風お化け。対象との距離、五メートル程度。体力ゲージ満タン。目的地カツサンド。追跡を開始する。

なんてどこぞのゲームみたいに考える。オレ自身はただただ足を動かして追いつめているだけだが、こういう風に考えればこれもゲームみたいで面白いだろ。

そうじゃなきゃ椿のムチャぶりになんて耐えられなかったからな。

階段をかけ上がり、廊下を駆け抜け、手すりを滑っておりる。その背中がだんだん近づいてきてしまう。

意外と体力ないんだな。足は速いから瞬発力のあるタイプか。

「――っていうか、案外遅いじゃねーか」

目的地のカツサンドに着く前に追いついてしまった。首根っこを引っ掴んでズルズルと引きずる。まだ逃げようとするからだ。

「ぜんぶ分かってっから。なぁ、河内?」

ぴたりと動きが止まった。オレは笑う。分からないとでも思っていたのだろうか。だとしたらずいぶん舐められたものだ。

「走り方がさ、特徴的なんだよ、お前。クセになってっから誤魔化したいなら改善すれば?」

「……なんだよ、バレていたのか」

河内がお化けの面を外す。見ればさすがバドミントン部、色白な顔がのぞいた。サッカー部とかは日焼けしているけどバドミントンとかバスケとかは焼けないよな。

「どこで分かったんだよ」

「最初から」

「まじかよ」

「あぁ、言っとくが最初からというのは平井が来てからだぞ」

「はあっ⁉」

河内が驚いていた。それを見てオレは逆に不思議に思う。

「だっておかしいだろ。五組はお化け屋敷をやるのに、肝心のお化けの衣装がなくなって、修復でもしているんだろう、は」

そう。お化け屋敷をするならば、衣装はなによりも大事なはずだ。なのにそれを修復中かな、で済ませられるものか。オレだったら無理だな。

「次に数日前になくなったってことだな」

その数日で何をしていたのか。そんなことは簡単だ。目撃情報を作り、困っているという状況を作り出した。

「目的は客を呼ぶためだろ」

「……ぜんぶ分かってら」

河内は苦笑いを浮かべた。

「オレたちがお化けにビビってくれれば御の字。もしビビらなくてもある程度の噂が広まればお化け屋敷にリアリティが生まれる」

「そう」

オレは足を止める。中庭には椿と平井がいた。どうやらちゃんと言葉の意味が通じたらしい。

カツサンド、というのは数日前の購買で買ったお昼で、それを食べた場所――、つまり中庭に来い、ということになる。

「捕まえたんだな」

「まあな」

「ごめんね、平井。ぜんぶバレてら」

「わかってる。まあ、騙せるとは思っていなかったしなあ」

「騙そうって気概は感じなかったけれど?」

ずいぶんお粗末だったし、と椿は言う。それに平井がショックを受けた顔をしていた。

どうやら平井が考えたようだ。まあ、素人にしては考えられていた方じゃないか?

「それで?どう落とし前つける気だ?」

平井と河内が顔を見合わせた。それから小さくうなずきあった。

「もうしない。元々、そろそろやめるつもりだったんだ」

「自作自演だとバレてるしな」

「ちゃんと迷惑かけたところには謝る」

椿は小さく笑った。これならオレたちが介入しなくたって平気だ。『男子トイレの花子さん』も『ボール消失事件』も、介入しないといけないレベルのものだった。まあ、さすがにこの時期にそんな物騒なものを持ち出されたくなかった。

「オレたちへの報酬はなくていーよ」

「へっ?」

だから椿の言葉にオレは驚いた。椿を見れば任せてよ、と言うように笑っていた。

「そのかわり、絶対に人に迷惑をかけないと誓ってくれ」

――そうだな、この学校の銅像にでも。

ニッといたずらっ子みたいに椿が笑う。オレは吹き出した。

椿の言う銅像は頭がツルピカの何年も前の学校長のそれだ。太陽の光を受けていつでもキラピカなので『ツルピカ長』と呼ばれている。顔も豚のように主張する大きな鼻と細い糸目、でっぷりとした肉厚の唇と少しは美化してやれよ、と思うレベルだ。

「ふはっ、まあいいよ」

「あれに誓うのか⁉」

「河内⁉あんなツルピカ長になんて」

「なんだっていーだろ。あれ見るたんびに思い出しそうでいーじゃん」

河内はしばらく笑った後、銅像のある方に向かって胸をトンッと叩いた。

「迷惑はかけない。あのツルピカ長に誓おう」

うーん、言っていることは格好いいんだけどな。ツルピカ長ってところで全て台無しになっている気がする。

「ん。じゃあいってよし」

「おう!それじゃあ」

「頑張れよ。お化け屋敷、暇だったら行くし」

「ふふっ!とびっきり怖くしてやるよ!」

パタパタと二人は駆けていく。その姿が見えなくなるまで見送って椿はオレを見た。

「さ、戻ろうか」

椿はオレの返事も聞かずに歩き出す。追いかけて隣に並ぶ。

「なんで報酬を貰わなかったんだ?」

「だって言っていなかっただろ?それに、こういう小さいことに関わったなんて思われたくない」

「まあ、そうだな」

校舎に入れば外よりかは涼しくなった。あちこちの教室の扉は冷気を逃さないためにピッチリと閉められている。それでも涼しく感じるのは日陰だからか、それとも――。

「さっさとやろうか。下描きは済ませておいたよ」

「へ?」

いつの間に。

「そりゃ、昨日、家で」

だからエスパーかって。っていうか!

「家でやったのかよ⁉」

「ああ。案はいくつか提示する。でも、描くのは綾だからな」

ガラッと美術室の扉を開ける。中は涼しいままだった。

「さ、あと少し頑張るか」

「ああ。僕はちょっと野暮用があってね。案は出しておくから好きに見て」

「おー。お疲れ」

「また明日」

椿はカバンから数枚の紙を出すと美術室を出ていった。オレは扉が閉まるのを確認してから絵を見た。どれも綺麗な絵だった。けれど、どことなくドロドロしているようにも見えた。

絵は描き手の感情を覗かせる。音楽とかもそう。だからたぶん、このドロドロしたものも、椿の感情なのだ。

「……もっとよくできるんじゃねーの」

オレは紙を取り出した。そしてそこに鉛筆を走らせる。椿の絵をもとに楽しさを足していく。

文化祭って楽しいもんだろ。笑顔で始まって笑顔で終われば良い。過程が苦しかろうが終わり良ければ全て良し、だ。

「よぉーし」

これを完成させて椿を驚かせよう。てことは明日までに下描きの完成か……。

チラリと時計を見る。外は太陽がジリジリ照らしているから忘れてしまいそうだが、もう三時だ。帰って諸々のことをやったらあっという間に七時になりそうだ。そこからやって下描きが終わるか。

「……無理かなあ」

クーラーの効いた部屋にオレの声がポツリと消えた。

オレは知らなかった。この日の夜、河内が襲われることを。そして忘れていたんだ。なくなった衣装は一着ではなく、二着だったことを。

下描きが中途半端なまま、オレは机で寝ていた。外はまだ真っ暗だ。机上のデジタル時計を確認すると、液晶パネルには一が三個並んでいた。画用紙を鞄にしまって、オレは洗面所に赴いた。小指の側面は黒鉛が付着して黒ずんでいる。固形石鹸を泡立て手を洗った。

「おねがい、おねがい、……カメさん、カメさん」

夜中に一人でなにを唱えているのだろう。オレは鏡を見て、自分の姿を確認した。お前もおかしいと思ったよな、と、もう一人の自分に語りかける。おかしいというのはアレですか。今日の、椿さんの態度ですか。

「やっぱりおかしかったよな」

平井の依頼に関して乗り気じゃなかったことは、まあわかる。早々に自作自演を見抜き、追尾をオレ任せにしたことも、わかるといえばわかる。が。

「絵がおかしかったんだ」

芸術には、作り手の感情が出たり入ったりする。それは特におかしなことだともいえない。しかし椿は、どちらかといえば対象の本質に忠実な絵を描くタイプだろう。基本的に絵と椿は切り離されていて、筆の先から向こうは別の世界だ。椿は制御に長けている。そんな椿が、案とはいえ、あんなドロドロ丸出しの絵を描くものか。

「オレの思い違いかなあ」

流水に手をかざすと泡が零れ落ちていく。それが排水口に吸い込まれていくさまをじっと見つめながら、オレはフェイスタオルを掴んだ。

翌朝、オレはやや寝不足のまま登校した。なんの気なしに自分の教室に向かおうとする。一方で、廊下は騒がしさに満たされていた。歩いてさえいれば誰でも気がつけるほどの騒がしさだ。

騒音の発生源は五組。普段ならスルーしてしまうところだが、昨日のことがあったからか、オレの足は自然と五組の方に向いた。五組のドアの前に村瀬を見つけたので、呼び止める。

「村瀬、おはよ。なにこれ?」

「あ、綾くん。おはよう。わたしもよくわかってないんだけど、今日、河内くんはお休みなんだって」

「へえ。もう花子さんは勘弁なんだけど」

「なんか怪我で入院してるらしいよ」

「入院って。……昨日の今日で? いや、それにしてもこんな騒ぎになるようなことか?」

今は準備のために登校してきてるだけなんだから、怪我で入院しているとしても授業が受けられなくなるわけではない。というか河内は皆勤賞を狙えるくらいの健康優良児なのだから、怪我で入院したという話そのものが怪しさにまみれている。事故だろうか。

「それがね、綾くん。……河内くんに怪我させたのが平井くんなんじゃないか、って話になってて」

「え、平井なわけないって。二人とも仲良いし」

「わたしもそう思うんだけど、……」

村瀬と話していると、後方から肩を叩かれる。振り向けば見知った顔があった。椿だ。椿は声を張り上げたりしないから(省エネルギーのため)、この騒がしさの中ではスキンシップが必要不可欠だったらしい。

「なにしてるの、綾」

「おはよ、椿。見ての通り、野次馬」

「そう。ただの野次馬ならいいけど。……頼まれてもいないのに首を突っ込むのは、控えてほしいかな」

「え、……」

「──だから違えって言ってんだろ!」

オレが椿と話していると、教室の中心から声が上がった。声の主は激昂し、正気を保っていないようだ。品の良くない音を立てて椅子から立ち上がり、机に掛けられた鞄を引っ手繰って怒りを露わにしている。

「おい待て!」

「お前らと話したって埒明かねえよ。……帰るわ」

「平井!」

平井は廊下の人混みを掻き分け、早歩きで去っていこうとする。オレは椿の顔色を窺った。明らかに行くなという表情だ。それなら相談屋の看板は椿の隣に置いていく。ただの綾は、急いで平井を追いかけた。

「平井、……ちょっと待って」

違反にならない程度に廊下を走り、オレは平井の左腕を掴んだ。平井はそれを振り解こうと試みたが、相手がオレであることに気がつくと抵抗をやめた。

「なんだ綾か。恥ずかしいとこ見せちゃったな」

「大丈夫。それより、少し話を聞かせてくれ」

「まあ、綾ならいいけど、……疑いは晴れないんだろうな」

平井は半ば諦めた様子で速度を落として歩いた。人通りの少ない廊下を選び、不貞腐れて呟く。

「どこまで聞いた?」

「河内に怪我させたのが平井だっていう、根拠のない噂話までだな」

「そうか、……そうだよ、根拠なんかねえ。でも、致命的な動機がある。……俺、あのあと河内と喧嘩したんだ」

「あのあとって、ツルピカ長に誓ったあと?」

「そ。もう一着の衣装が、本当にどっか行っててさ」

平井の『もう一着』という言葉を聞き、オレの海馬が叩き起こされる。昨日の依頼では、失くなった衣装を取り戻してくれと頼まれた。よく思い出してみると、平井の話では、消えた衣装が二着だったような気もしてくる。

「俺は二着とも、PRで着るために河内が自分で保管してくれてるのかと思ってた」

「でも河内は、学内を歩き回るために自分が持ち出したのは一着だけだって言った、……あってるか?」

「あってる。俺があの宣伝方法を提案したとき、河内はすぐ乗ってくれた。五組の衣装を管理してたのは俺だったから、保管場所を伝えて、……わかったから一人で取りに行けるって河内は言ったんだ」

「逆に、どうしてそこで別行動になったんだ」

「部活が始まるから、お互いに急いでたんだよ。俺が翌朝衣装を確認したら二着なくなってたから、河内が二着持っていったんだなと思った。てかずっとそう思ってたよ。今になってそうじゃないらしいことがわかって、じゃあもう一着は、……って昨日、河内と改めて話した。そこからはもう、俺じゃねえよの応酬で」

「喧嘩になったってわけだ」

「ああ。もちろん、殴ってはいないけどな。頭冷やして明日また二人で探してみようぜって解散したら、今朝のこれだよ。なんだよ、怪我して入院って」

あんな作戦を考える平井にここまで大胆な嘘がつけるとも思えない。平井は、河内を襲ったりなんかしていないだろうとオレの勘は告げる。とはいえ、これじゃあ他に心当たりのないクラスメイトが平井を疑うのも当たり前だ。だって本人は河内と喧嘩したことを隠そうともしてないんだから。

オレは平井を校門まで送り届けた。平井はとりあえず一回頭冷やすわ、と告げ、駅の方向に一人で帰っていった。昨日と全く同じ台詞なのだろう。教室に引き返して椿と話そう、……と思ったとき、ふと体育館が目に入った。ドアが開けっ放しで、部活の練習風景がよく見渡せる。オレは、そういや河内はバドミントン部だったなと思い出して体育館に顔を出した。主将らしくクロスファイアを打つ生徒に近づき、声を掛ける。

「ちょっとごめん。あの、河内が入院したって聞いたんだけど。……怪我したのって、昨日の部活中?」

「ん、……君は」

「通りすがりの美術部なんだけど。昨日河内と話したばっかりだったから、ちょっと心配で」

「そうか。河内が怪我をしたことは当然俺も耳にしたけど、それは部活中の出来事じゃないよ。そもそもバドミントン部は昨日、活動していなかったんだ」

「それは、なにか理由が?」

「週に一回の休養日ってだけ」

「そうだったんだ。ありがとう」

なんの成果も得られなかったかもしれない。というよりは、平井の疑わしさが増した。バドミントン部の活動が無かったなら、河内が怪我をする前に接触してるのは椿とオレと衣装の所在で揉めた平井くらいだ。

「河内がどこの病院に居るか知ってるか?」

「さあ。俺もそこまではわからないな。あ、先生。河内がどこの病院で治療受けているのかご存知ですか」

主将らしきその生徒は顧問の教師を呼び止めた。

「おう、岸尾、……さすがに先生は知ってるけどな、個人情報だぞ。河内の許可が取れればいいけど」

「もしもし、河内? 俺、岸尾。先生からお前がどこの病院に居るか聞いてもいいかな? あ、教えてくれるのか。わかった。了解、ありがとう」

「おい岸尾、体育館にスマートフォンを持ち込むな」

「先生、突っこみどころはそこじゃないですよ。河内が電話に出られるなら大怪我ではないし、今は多床室にも居ないってことです。というわけで美術部の君、病院の住所を送るから、連絡先を聞いてもいいかな」

魂を半分売るつもりで、オレは自分のスマートフォンを差し出した。読み込んだ岸尾のプロフィールは『男バド主将』という文言に加えラケットの絵文字が添えてある。背景もコートの写真だ。オレは試験的に、わざわざ顧問を呼び止める必要があったのか、という内容のメッセージを岸尾に送った。

オレは河内と面会するため、バスに揺られて病院までやってきた。受付で手続を済ませ、大きなエレベーターに乗る。隣には椿がいた。なぜって、オレが半ば無理やり連れてきたからだ。文化祭の準備は、……またあとで。こういう調査じみたことを単独でやるのは正直不安だし、椿が居てくれた方がいい。ただそれだけ。

「正式に相談を受けたわけじゃないのに、どうして僕はここに居るんだろうね」

「そこがオレも謎なんだよ。河内が怪我して入院なんてことになって、あろうことか平井が疑われてる。そんなときこそ美術部の出番、だろ? 平井は自分が犯人扱いされてるのに、オレたちに真犯人を探してほしいと依頼してこなかった。……それは何故か!」

「馬鹿だから思いつかなかったんじゃない」

「たぶんそう」

押ボタンの光が消え、エレベーターのドアが素早く開いた。このフロアに河内の居る病室があるのか──と思ったら目の前の談話スペースに河内本人が居た。

「よう、昨日は世話になったな」

「河内お前、寝てなくていいのか」

「別に、ちょっと脚怪我しただけだって。しばらく片方松葉杖だけど、骨とかは折れてないから」

椿とオレは手前のソファに座った。お見舞いに缶コーラとか買ってきたけど、必要なさそうだな。

「で、岸尾から連絡はもらったけどなんの用だ、……っていうのは冗談で。あの、……平井のことだよな?」

「まあ、そういう感じ。二人、喧嘩してたらしいじゃん。平井がお前に怪我させたんじゃないかって、朝から五組が騒がしくしてた」「そっか。……昨日、人に迷惑かけない、って誓ったばっかなのにね。もう平井に迷惑かけちゃった」

「河内は綾の発言を否定しないんだ?」

椿が指摘する。河内の身体は強張った。もうちょっと手加減してやれよと思う反面、やっぱり椿を連れてきてよかったな、とも思う。

「わからない。平井ではないと思うけど、平井じゃないとも言い切れないっていうか。暗かったし、たぶん帽子被ってたし。誰だったんだか。……殴られたのが脚だったから、追えなかったけど」

「僕はよく知らないから聞くんだけど、平井って、揉め事を暴力で解決しようとする人なの?」

「え、……どうだろう」

「えっ、河内、それも否定しないのか?」

「ちょっと喧嘩っ早いところがあるからなあ。矛先が自分だったことはないけど、なんとも言えない」

「河内に怪我をさせたのは平井、でいいかな、綾」

「いやそれはダメだって。平井はやってないって言ってるんだから。だいたい本当に殴ってたとしたら、喧嘩してたこともいっしょに隠すはずでしょ」

「じゃあ綾、平井じゃなかったら誰なの?」

「それは、……えっと、衣装を持ち出した奴?」

「もしそうなら、ふりだしに戻るよね」

「椿の言う通りだな。……手掛かりがひとつもない」

「二人とも、わかってると思うけど、PRに使ったのはあの一着だけだからな」

いつになく椿の口調が強かった。あのドロドロの絵からして椿が神経質になっていることはわかる。が、この件も同じく、原因不明だ。

缶コーラとポテトチップスは置いてきたものの、あと二日もすれば退院できると聞いて、安心するとともにお見舞いの必要性が崖から転落した。オレは駅に向かう帰りのバスの中で、椿の寝顔を眺めながら、河内の曖昧な発言を思い出す。平井を庇いたいのか、平井を犯人にしたいのか、どっちつかずの発言が多かったような気がする。もしくは、ただ馬鹿正直なだけか。

「馬鹿正直なだけではないと思う」

「ねえいつ起きた?またエスパー?」

「河内が平井のことを嫌いじゃないわりにやたら平井の名前を連呼したのは、平井以外の犯人像を暈したままにしておきたいからじゃないのかな。河内は犯人が平井じゃないのを知ってる。だから河内が積極的に平井の名前を出して、その結果平井に疑いの目が向けられたとしても、平井が傷害罪で誤認逮捕されることはないって信じてるんだろう」

「いくら聖人君子の綾君といえど、平井に完璧なアリバイがなければその推測を正面から信頼することはできない。平井を犯人にしたいわけじゃないけど、情報が少ない段階で断定するなんて椿らしくないな」

「そもそも相談されてないんだから、考える気もそんなにないんだよ」

椿のことはよく知っているつもりだ。頼まれてもいないことに首を突っ込むのはデリカシーがない。却って相手に失礼。今回も、そう考えているのだろう。

「でもさ、椿。同級生が怪我してるんだし、そういう言い方はヤメた方がいいんじゃねえの」

「僕たちは警察じゃない。衣装探しならまだしも、傷害事件の捜査なんて素人がやったら危ないから」

「それは正論だけどさあ、……オレは河内が怪我をしたことと、盗まれた衣装の件がまったく無関係だとは思えないから、両側から調べた方が近道だと──」

「綾は、自分が危険な目に遭ってもいいの?」

「え?」

「僕は嫌だ。わかってる? 軽症とはいえ、河内は入院した。……れっきとした傷害事件なんだ。もし犯人が悪党だったらどうする。河内程度の怪我じゃ済まないかもしれない。僕は綾に怪我をしてほしくない」

捲し立てられているうちに、バスが駅前の停留所に到着した。なんとなく黙ってしまって、椿とは目を合わせることもなかった。パスケースを読み取り機に置くと、心臓に響く高音が鳴る。

そしていつも通り、オレたちは解散した。

椿は最初に平井が相談を持ちかけてきたときから乗り気じゃなかった。そのときは、こういう小さなことに関わったと思われたくないという言葉に納得した。でも河内が誰かに襲われる前から、椿はおかしかったのだ。というか、椿の絵が、おかしかった。

「待って、……そんな正面から来る?」

スポーツブランドの黒いキャップを目深に被った人がこちらに駆けてくる。夏なのに着込んで、暑くないのか。オレは慣性の法則を信じ、自分の右足を後ろに引くことでその人の突撃を躱した。人は一瞬立ち止まり、予備動作のあと、握りしめた右手を素早く突き出してくる。これは格闘技経験者の動きじゃない。勢いだけのでたらめなネコパンチだ。が、多少は痛かった。何度か殴られる。すべて右手での攻撃だった。

「痛って、なにすんだよ」

相手は武器を持っているわけじゃない。急がなくてもいい。身長は高い方。力は強くない。でも、動きは速くておまけに軽い。河内と言われれば納得するかもしれないけど、少なくともこれは、平井じゃないな。

「河内に怪我させたのもお前か」

腕を掴んで捕まえようとしたものの、上着の生地がサテンっぽく、つるつると滑って捉えきれなかった。人は、来た方向に去っていく。体格は見た感じ男性っぽいけど、どうだか。鍛えてる女性も、今は少なくないしな。オレはその影を追いかけようとしたが、椿の言葉を反芻し、思いとどまった。

「なにがしたかったんだ、あの人。忠告かな」

ただひとつ思うのは、もし河内を襲った人物が今の人と同じなら、そこそこ運動神経のいい河内の脚に、入院するほどの怪我を負わせるのは困難だろうということだ。走り方は河内に似ていなくもないが、河内と比較すれば動きは重たいし、遅いし、鈍い感じがした。

翌朝、オレは冷房の効いた美術室でやっと下描きを完成させた。椿が来たら驚くだろうなと企み、人知れずワクワクしていた。そしていよいよ椿が美術室に入ってきたとき、オレの予想通り、椿は大きな目を真ん丸にして驚いてくれた。

「どうだ、椿。オレもやればできるよな?」

「違う、……綾の絵の話じゃない」

「そうか。なら、この怪我のことか」

「それもそうだけど、その──」

「うん。衣装?」

立ち尽くす椿の視線の先には、おそらく五組から盗み出されたのであろうお化け屋敷の衣装があった。椿が描きかけていた油彩画のキャンバスは丁寧に床に降ろされ、一メートルを超えるサイズに対応した木製イーゼルには、キャンバスの代わりにハンガーが掛かっている。

「朝来たら、美術室にあった。盗人はオレたちに罪を擦り付けようとしてるみたいだけど、どうする、椿」

「まず平井を呼んで、この衣装が失くなったものと一致するか確かめてもらった方がいい」

「そうだよね。そう思って連絡しておいた。もうすぐ来てくれると思う。けど、椿」

「なに?」

「その前に、オレの考えを聞いてくれるか?」

椿は頷き、美術机に荷物を置いた。半袖のシャツからのぞく腕は細く、白い。やっぱり実働はオレだな。

「昨日、椿と別れたあと、誰かに殴られた」

「そうみたいだね。……その顔を見ればわかる」

「オレが衣装探しもとい犯人捜しをしてたから、河内を襲った奴が、これ以上は調べるなって警告を出すためにやったのかと思った。でも椿は殴られてない」

「うん。そもそも僕は犯罪と関わりたくない」

「それもあるけど。オレを止めるなら、椿を殴った方が成功率は高くならないか? だってオレよりも椿の方が華奢だし。椿が殴られたら、さすがにオレも手を出せなくなるし。それに椿は、……話の分かる相手だし」

「そうだね」

「話の分かる椿は、殴られていない。椿は犯人にとって、武力行使しなくても交渉ができる相手だから」

「綾。そこまでわかってるなら、もうこの件には関わらないようにしてほしい」

「犯人に言われたんだろ? 平井が美術部に相談を持ってきても手を貸すなって。さもなくばお前の相棒を手に掛けるぞって脅し文句付きでさ」

だから椿は乗り気じゃなかったんだろ、と首を傾げてみせた。あのドロドロの絵も、それを暗に伝えようとして描いたんだよな。椿は黙ってしまったが、頭の回転が止まっているわけではなさそうだ。

「美術室の鍵を誰が使ってるのか、先生に聞いたよ」

「それで?」

「オレと椿しか使ってないってさ。さっき衣装を見て驚いてたのは、場所が変わってたからだよな。昨晩はイーゼルに掛かってなったのに、って。本当はオレより先に登校して、適当な場所で衣装を見つけたフリするつもりだったんだろ。……なあ、椿。いったい誰に鍵を貸したんだ?」

答えを聞く前に、美術室の扉が開いた。平井だ。肩で息をしながらこちらに歩いてくる。廊下は走っちゃいけないんだけどな。

「綾、……間違いない、……これ。失くなった衣装だ」

「そうか。見つかってよかったな、平井」

「あれ、でも、天冠がない。どこにいったんだ?」

椿が証言しなくても、見当はついている。スポーツブランドのキャップには、ラケットと同じロゴ。右手だけのネコパンチ。走り去る歩幅。体型。河内が殴打を避けられなかった、いや、避けなかった理由。犯人像を暈すためか、やたら平井の名を出していたこと。体育館で見た左利き特有のクロスファイア。

「オレは、河内と仲が良くて、いつも一緒にいる人が隠し持ってたんじゃないかって思ってる」

「それはとりあえず、俺じゃない。だとすると、ダブルスでペア組んでる岸尾くらいしか、……」

「椿、あってるか?」

椿は、簡単には頷かなかった。が、おそらく衣装を盗み出したのも、河内の脚に怪我を負わせたのも、岸尾で間違いないだろう。河内もお人好しだな。岸尾について全く触れなかったのは、自分が証言したら、岸尾が、──男バド部が、大会に出られなくなる可能性があったからだ。不祥事による出場停止処分とかで。だから、無実を証明できる平井を信頼して疑念の矛先を岸尾から逸らした(平井にとってはいい迷惑だ)。

「平井、探しに行こう、……天冠」

「探しに行くって、場所は?」

「男子バドミントン部の部室だよ」

衣装が再び消えてしまうことのないように、死装束を紙袋に入れ、手に持った。軽くて重たい。

椿とオレ、そして平井は、男子バドミントン部の部室に忍び込んだ。平井は『岸尾』というネームプレートがついたロッカーの扉をおそるおそる引っ張る。一見なんの変哲もない、部員のロッカーだ。しかしタオルや着替えで膨れた鞄を外に出し、シューズを持ち上げると、その下には。

「あった。……天冠だ」

オレたちの疑念はみるみる確信に変わる。男バド部主将の岸尾は、あの日の部活中に、ペアの河内からお化け屋敷PR作戦のことを聞いたのだ。そして部活終了後、適当な理由をつけて、岸尾は河内と一緒に衣装を取りに行った。もちろんそのときに衣装を盗んだわけではない。衣装の保管場所を確認するために同行しただけだ。河内が帰宅したあと、岸尾は一人でもう一着の衣装を持ち出した。紛失がすぐに発覚したとしてもまず疑われるのは河内だろう。河内が疑うのはずっと衣装の保管を担当していた平井だ。この件で二人の間に少しでも溝ができれば、河内になにかあったときに犯行の動機がある人物は平井になる。

「なにしてるの? 君たち」

振り向くと、そこには岸尾が立っている。岸尾は後ろ手に部室のドアを閉め、こちらを睨んでいた。

ひやりと冷たい声。まるでそこに感情なんてないようだ。この前話した時とは大違い。どっちが本性なんだか。

「やだなぁ。オレたちは別に無くなったものを取り返しにしただけだよ」

凍る空気とは裏腹にヘラヘラと返すと、岸尾の眉がひくんと反応した。キッと視線が天冠からオレの方に向けられて、左隣にいた椿が一歩前に出る。

「へぇ……無くしたものを取り返しに、人のロッカーまで漁るのか。さすが、『報酬次第でなんでもやる相談屋』だな」

「椿、」

「僕らは構わないが、平井はこれから部活動があるんだ。文化祭も近い、行かせてやってくれないか」

椿はまっすぐ岸尾を見据えて、奥にいた平井を押し出してやる。果たして平井にそんな予定はあったかね。またしても部長であるオレは何も聞いていないわけだけど。でもまぁ何となくの想像はつく。

「……まぁ、いいよ。俺が用があるのは君たちだからね」

平井が複雑な表情を浮かべたまま、部室から出る。それを確認してから岸尾はまたこちらへ直った。

「それで、探し物は見つかった?」

「あぁ。オレたちの推測通り、岸尾、君のロッカーからね」

「へえ、それはどうしてだろうね」

あくまでも知らん顔ってことか。なら少し想定より早いが、答え合わせにするか。

「確か岸尾のクラスもお化け屋敷やるんだったな」

僅かに目を見開く。なぜ知っている、と言いたげな顔だ。

なぜも何も職員室前のトロフィーを見れば名前と学年くらい余裕でわかる。まぁ一番は周りに奴のクラスを聞けば早いんだろうけど、変に怪しまれそうだからな。そしてあとは花子さんの時と同様、その学年の名簿を端から端まで探すだけ。文化祭の演目はそれぞれ既に開示されているから、それと照らし合わせる。するとまぁびっくり、という程でもなくある程度想定はしていたけど岸尾のクラスもお化け屋敷だった。

「馬鹿なことをしたな、岸尾。こんなことバレたらそれこそ大会出場も危ういんじゃないのか」

河内に自分は売れないと、分かっていての手口。河内が自分を庇い、平井のせいにでもなって、五組が破綻でもしてくれれば。だけどそこへ丁度オレたちが現れた。裏の顔は相談屋。平井に相談でもされちゃ、いずれ自分の名があがり詮索される。そうすれば確証が出なくても悪い噂は確実に立ち、大会出場に影響が出るかもしれないと。

「馬鹿は君だよ、椿くん。あれだけ『河内のことは詮索するな』と忠告してやったのに」

「僕もそうしないで済むなら詮索なんてしなかったさ。うちの部長が聞かないんだ」

「自分の大切なものたちがどうなってもいいと?」

忌々しげな目が椿に向けられる。岸尾の体が一歩こちらへ近づいて、オレは庇うように椿の前に出て左腕を翳す。椿は驚いたような、焦ったような声色で後ろから「おい、綾」と呼んだ。

岸尾の言う通り馬鹿だなぁ、椿。体を張るのはいつだってオレの役目だったろ。

「いいのか?学校内で手を出したら、本当に謹慎処分食らっちゃうんじゃない?主将様」

「……ふ、ふふ……」

オレの言葉に岸尾は足を止め、ゆったりと奇妙な笑みを浮かべる。正直賭けだった。ここで売られた喧嘩に上手く乗ってくれれば。

「……証拠は?この大事な時期にバドミントン部の主将を貶めようとしておいて、まさか証拠のひとつも無いだなんて言わないだろうな」

オレが、恐らくオレたちが一番欲しかった言葉。

きた!と、オレが心の中でガッツポーズをしていると、椿のスマホからも「待ってました」と言わんばかりに食い気味に動画の音声が流れる。

『で、平井のことだけど』

『岸尾。その前に、とってもいいか?』

『……あぁ。早くしろ』

『……よし、いいぞ』

『もう分かってるだろうけど、一応念には念を押しに来た。いいか、今後平井が美術部に相談を持ってきても一切の協力をするなよ』

それは決定的な証拠となるセリフ。やっぱりな、椿なら撮ってると思ってたんだ。

「なっ!」

『それはいいけど……どうしてバド部の主将ともあろう岸尾がそんなことを?』

『お前が知る必要は無い。詳細は言わない。これ以上の詮索も許さない。破った暁にはお前の大切にしてるものを奪ってやる』

「もういい、止めろ……」

「なんでだ?欲しかったんだろ、証拠」

『大切に……岸尾、何をするつもりだ。こんな弱小部、お前が潰さなくとも時間の流れと共に消えるだろ』

『潰す?そんなことしないさ。ただ、大事な大事な部長さまが痛い目に遭うかもしれないけどな』

「止めろと言っているだろう!」

とうとう大きい声を出したところで、椿は画面をタップして再生を止めた。

「悪い。ちょっと撮らせてもらった」

「は。いい気になるなよ、これは立派な盗撮だ!生徒会に訴えたら大会常連のバド部と今にも潰れかかってる弱小部、どっちを取るかなんて目に見えてる」

「?確認はしてただろ。動画『撮ってもいいか』って」

「はぁ?あれは、描き途中のデッサンを『撮っていいか』ってことだったろうが」

「さぁ。録音にはそんな文言ひとつも入ってないが」

そう。その動画はカメラをキャンバスか何かで塞いでいてほとんど音声のみのものになっていた。その分、椿が岸尾の名前も部活も露わにしている、これはもう言い逃れは出来ないな。

「んー。こりゃどう聴いても、動画撮っていいか、に聞こえるな」

「ということだ」

「……っく、」

「うちの椿がただで脅されるわけないでしょ」

意外と神経図太ぇんだ。オレなんかよりもね。

すると、主将様は椿のスマホを奪い怒りに任せて叩きつけようと振りかぶった。慌てて止める。さすがに椿に悪い。

「ちなみに!今そのスマホを割っても意味ないよ。だって今のやり取り、一部始終ぜぇーんぶ撮られてるからね」

自白シーン全部を、だ。オレたちがした罪といえば盗撮くらいだ。岸尾のやった罪歴と比べると可愛らしいもんだ。

「……ハ、そんなはったり……」

「いやまじだって。しかも、今度はカメラのプロ」

だからきっとよく撮れてるよ。よかったね、主将様。

「プロ、ってもしかして……」

「部室の外には写真部総勢九人が僕たちを撮ってる。逃げられないんだよ、岸尾」

「そ、んな……写真部がなんでバドの部室に」

「さっき言っただろ?平井は『部活動』があるんだ、って」

椿が僅かに口角を上げると、全てを理解した岸尾は絶望にその場へ崩れ落ちた。だろうと思ったよ、確信犯。初めから部室で岸尾とエンカウントする可能性を考えて平井と作戦でも立てていたんだろう。いや、背中を押された時平井が少し身じろいでいたから、メモ的なものを渡されたのかもしれない。どちらにせよ、どこまでも頭が回って怖ぇ奴。敵に回さないようにしよう。

結局、岸尾からは今回の件について内密にしておく代わりにバドミントン部の夏練の差し入れに入れると喜ばれるランキング二位のチューパットを箱で貰った。一位は二リットルのアクエリ。体育館中のドアというドア、そして窓という窓を締め切られひたすら滝のような汗を流す彼らにとって、何よりも嬉しいのは塩分と水分なんだ。そう苦笑しながら言う主将様に、オレたち文化部一同ひぃえと悲鳴が漏れた。夏はエアコンしか勝たない。万国共通だと思っていた。

「二人のおかげでお化け屋敷、なんとかできそうだよ」

「俺たち五組の仲もすっかり戻ったしな」

河内がはにかんで平井の肩を小突く。微笑ましい。正直お化け屋敷の成功云々はどうでもいいが、二人の仲が戻ったならそれで充分だと思った。

「それにな、岸尾さんのとこのクラスと組まないかって話も出ててさ」

「へぇ、それは意外だな」

河内ならともかく、傷害事件を起こした岸尾が承諾するだなんて。

「元々、お化け屋敷に使える暗幕が足りなくて今回みたいな紛争が起きたんだ。五組も引きたくない、俺たちも引きたくない。だからいっその事、合体しちゃった方がいいかと思ってさ」

「まぁ何にせよ上手くいってるなら良かったよ」

そんな岸尾も、すっかり好青年みたいな話し方に戻っている。そっちが表でやっていくことにしたんだな。

「絶対面白いものにするからさ、綾と椿も来てくれよな!」

「おー、行けたらな」

さすがにここ最近で来客が多かったのと、絵の締切が立て込んでいたのとで差し入れのゴミやら絵具が散らかってしまっている。依頼も解決したことだし明日から文化祭に向けて切り替えるために、片すことになった。

椿は何やら黙りこくってるし。それはいつも通りか?でも奴らが居なくなって、騒がしさが無くなった美術室は確かになんだか見慣れたはずなのにやけに静かに感じる。

『主将として信頼にかけることをしてしまって悪かった』

『いいんです。岸尾さんならいつかは自ら認めてくれるって信じてましたから』

数分前の熱いやり取りを思い返す。主将、か。後輩、先輩の関係というのもいいもんだな。前回椿に言われた時はパッとしなかったけど。

「美術部に先輩、後輩とかそんな関係あるか」

あー、また勝手に人の脳内を読んだな。こいつは。

「いーの!望むだけタダだろ?」

「この前はいらないって言ってなかった?」

「気が変わったんです〜。今回みたいなことがあった時、オレたちって二人しかいないんだなって」

バドミントン部のやつらみたいに形は違えど互いを信頼して庇ったり、写真部みたいに大会常連部の主将という大物を目の前にして震えながらも支え合ったり、バスケ部みたいに足りない何かを補いながら成長していったり。

オレたちは二人だ。二人だから出来ることもあったけど、二人しかいないから得るリスクも沢山ある。

ここいらで先輩でも後輩でも同い年でもいいから、バランス系の女子の入部でもあったらいいんだけど。何もやましい意図があるわけじゃない。頭脳系の椿と、勘とフィジカル系のオレ。そこに丁度バランスを取れるような、そして花子さんみたいな女子に聞き込みをしないといけなくなったときのためにも女子の入部が望ましいんだが。実際はバランス系も女子からも入部願いは来ず。

「あ〜ぁ、なんで入部者が増えないんだー」

なんて空に向かってぼやいてみたりする。

「美術部は目立たないからな」

「うむ、ごもっとも」

にしても、椿のやつ、あれから特に変わったことはないまま冷静沈着だけど。でも今回のことで分かってしまった。あいつはあいつなりにこの場所を、オレのことを大事に思ってくれていたんだ。へへ、なんだ可愛いところもあるじゃないの。

「これ以上部員が居なくなったら美術室にいられなくなるからね」

オレ今声に出してましたっけ、と突っ込むのももう面倒になってきた。

「顔に出てる」

「へーへー」

「ここ、何かといいんだ。静かで、絵の道具だって揃っていて、なにより」

「居眠りが妨害されない、だろ?」

「そう。だから今綾にいなくなられたら困るんだ、主に僕が」

「ハイハイ、今日はそういうことでいーよ」

今のオレは椿じゃないけどエスパーが使えるからね。分かっちゃうんだ。

『綾は、自分が危険な目に遭ってもいいの?』

『僕は綾に怪我をしてほしくない』

あの日、バスの中で言い合ったあの瞬間くらいは、椿が本心でオレのこと心配してくれてたんだって。あんな必死な目、初めて見たよ?綾くんは。

「まぁ?確かに?今オレがダメになるわけにはいかないよなぁ」

「何だ急に」

「ポスターだって仕上げなきゃいけないし、勧誘のこともあるし、文化祭のことも考えなきゃ

いけないし、椿くんが隠し持ってるソレにも目を通さないといけないしな」

「……え、」

椿がピシッと固まる。本当にバレてないと思ってたんだろうか。その白い紙。

「ったく。水臭いぞ。良い配色案が出来たなら見せろよな〜」

「……は?」

「あれ?違った?」

椿の渾身の「は?」に慌てる。あれ、ポスターの下書きの配色案でも出し惜しんでるのかと思ったんだけど。

「ふ……いや、バレたか」

「あったりまえよ」

なんだ、やっぱりそうなんじゃん。椿がたまにオレに見せようとしていたその白い紙。下書きはこの前なんとか終わったけど、配色がオレ一人だといまいち決まんなかったのだ。だからめっちゃ助かる。

「明日持ってくるよ。配色案」

「おう!オレも一応考えとく」

一応ね、一応。

ん。と、短く返事して、残りのチューパットをクーラボックスに仕舞っている。その表情はよく見えなかった。オレもテキパキと手際よく箱を潰して、まとめて縛り上げる。その中にメガネ君が羊羹を差し入れてくれたときの箱があって、口の中がすっかり羊羹になる。あの羊羹美味しかったな。さすが茶道部のイチオシ。

「やっぱりさ、」

「うん?」

「綾はエスパーには向いてないよ」

「なんだそれ〜?人類みな椿みたいだったら怖ぇだろ」

てか何の話だ?と思いつつ、やっぱり見えない椿の表情に、まぁ今聞かなくてもいいような気がして聞くのをやめた。だけど後にオレは、その時に聞いておくべきだったんだと後悔をする。そんなこととは知らず、呑気に明日の配色案なんて考えていた。 

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聖徳大学 文芸研究同好会

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