こんにちは。鱸です。
文芸研究同好会では、執筆活動の一環としてこのブログの記事を作成しています。
私が記事を書くのは二か月ぶりです。
先月は四年生らしく多忙を極めておりました。
お題小説のほうも六月はお休みです。
さて、今回は五月に部員の月夜さんが書いてくださった記事に倣いまして、
私もサークル活動報告記を残すことにしました。
当ブログが閉鎖されない限りは卒業後も読み返すことができますから、
私の、私による、私のためのタイムカプセル代わりとします。
私はそもそも、自分がいつから文章を書くようになったのか思い出せません。
しかし、現在に至るまで書き続けているのは事実です。
継続しているのは、楽しいと感じている証拠ですね。
さすがに強迫観念ではないと思います。
この同好会に入会し、活動するようになってから、
変わったこともあります。
私はここに来て、読み手を意識するようになりました。
かつて創作は私の探求心を満たすためのテストのようなもので、
だいたい完成形として認められれば、
自宅で印刷して綴じたりしていたわけです。
恥ずかしいので一般公開はできませんし、
見せる機会があるとすれば、
否定されないとわかっている場合だけでした。
私の中で承認欲求と結びついていたのは数字(テストの点数など)です。
芸の分野というのは、むしろ他人に土足で踏み入ってほしくない領域だったのでしょうね。
作品の出来がいいとかわるいとか、そういった話ではありません。
芸は数字で表されにくく、好みの影響が強く出るため、評価に一貫性がない。
……というより、正当な評価をしてもらえないと感じているのだと思います。
そして、専門家の方から見ればもれなく技術の至らない作品ということにもなるでしょう。
(正当な評価という言葉の曖昧さには目を瞑っていただければ幸いです。)
私はよく、爪を隠してしまいます。
ありもしない爪です。
本当はその爪で、すごい文章を書きたいです。
でも書けませんね。
書くことで世界を変えようという目的もありません。
誰かを笑顔にしたいという使命感もありません。
最終的には、好きなものしか書けないと思います。
理由はいろいろあります。
好きだから書くモチベーションが常に高いとか、
好きなものは詳しいから解像度の高い文章が書けるとか。
(よく思い出してみたら、書くために勉強していたら好きになったというケースのほうが多いかもしれません。)
記事を書いていたら、
自分が本読みだということを思い出しました。
おそらく私は自分が読みたいものを書いていると思います。
知りたいことを知るために、試したいことを試すために、
そしてそれらを読み返して思い出せるように言語化している気がします。
私の需要を満たせるのは私だけだからです。
同好会に所属した以上は、自己満足ではいけないと思っています。
私の場合ですが。
私は思想が内側に広がっていくので、
すぐ読み手を置いていきます。
どうにかしたいです。卒業までに。
というわけで、
どうにかなるまで私の作品は他言語で著された詩だと思ってください。
読んでくださっている方は、よろしくお願いいたします。
自分の文章を宝物だと思っている方は、ぜひ文芸研究同好会までご連絡ください。
いつでもお待ちしております。
2023.07.21 鱸
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