2024年度『卒業制作』②

こんにちは。文芸研究同好会です。

前回投稿した作品の後編を公開します。

さて、現実ではありえない世界はいかがでしたでしょうか。ヨミの過去、怪人の親玉など考えることはたくさんです。では、ここで一つ問いを出しましょう。作者はなぜ、『救えない世界』とタイトルをつけたのでしょう。答えはもうすぐ、分かると思います。

以下に作品を公開いたしますので、ご笑覧くださいませ。

※描写はすべてフィクションです。攻撃的な意図はございません。また、作者の自由な表現を尊重しています。ご意見のある方は、文芸研究同好会までご連絡ください。



『救えない世界』②   月夜


 連日テレビで報じられる怪人退治のニュース。そこに映るのは『魔法少女』ではない。美しくも可憐な少女ではなく、人間に擬態したおぞましくも醜い『化け物』。それは千年以上前に実在していたという鬼や天狗をかたちどり、人間に恐怖を与えるはずのものだった。

 けれどそれらは『怪人』と共闘することなく、『怪人』を狙い、人間を守った。こうなると人間は彼らを『化け物』ではなく『ヒーロー』とする。

「いやあ、大盛況だね」

 テレビの電源を切った小町はそう言って俺を見た。まだ本調子じゃないせいでベッドに座ったままだが、以前より身体は辛くない。

「ずいぶん派手だな」

「まさか!これぐらいで良いんだよ」

 小町は楽しそうだ。イタズラを考えた精と同じようだった。俺はため息をついて布団をかけ直す。

 俺の護衛隊たちは俺の家まで来るようになった。この前、倒れたことがよっぽどこたえたらしい。俺の生存確認と共に様々な情報を持ってやって来る。

 そしてもう一つ、変わったことがある。それが小町の態度だ。

「小町。そろそろ買い物に」

「駄目だよ。もう少し顔色を良くしてから言って」

 非常に過保護になった。これは多分、目をはなした隙に『夢魔』にとりつかれたせいだろう。怪人に立ち向かう強い俺でも、精神一つで『夢魔』につけ入る隙を与えてしまう存在だと認識したのかもしれない。

 小町の過保護は俺にとっては予定外だった。俺はもう充分回復しているし、外にだって出ないといけない。食べ物がないのだ。つい数日前に食べ物を買ってきてくれた狐以降、誰も訪れないこの家では食べ物が枯渇していた。妖怪の俺は生きられるかもしれない。

 けれど、小町は?三食しっかりと食べている小町は?いくら人間姿ではないとは言え、一食抜くのも良くないだろう。

 俺はベッドにもぐりこみ、目を閉じる。小町が俺のためにやってくれることは嬉しい。けれどそれは、俺を飼い殺しにしているも同然で。

 真っ黒に染まった視界だけが今も昔も変わらなくて俺は知らず知らずのうちに涙を流していた。

 数日後、やっと許可がおりた。多分、天気も関係していただろう。曇り。別に太陽が駄目なわけではないが、それでも曇りの方が息がしやすかった。

「ヨミ、どこ行くの」

「怪人の出現場所」

 南関東の怪人出現場所は家から近いので実際に行ってみようと思ったのだ。もちろん、移動距離が長い神奈川の西部及び南部は既に海関連の妖怪や山関連の妖怪に実地調査をお願いしていた。今日はそれ以外に行くということだった。

「だから精がいるの?」

「そうだよ〜!えへへ、一緒にお出かけなんて楽しいね!」

 にぱっと笑った精は元気な子どもといった様子だった。幼稚園にあがっているかいないかぐらいに見える精と一緒であれば、ぬいぐるみの小町も抱えていられる。それに小町が喋っていても誤魔化すことができると考えたのだ。

「あれ、でも天狗が八王子周辺はやるって」

「そう。だから二十三区と埼玉南部だ」

「横浜も範囲でしょ」

「そうだった」

 見慣れた水色のラインの引かれた電車に乗って揺られること一時間半ほど。到着したのは横浜駅の先の石川町駅だった。そのまま坂をのぼって丘の上を目指す。人々の生活の息遣いの聞こえる商店街や小学校の横を通ってただひたすらあがっていく。子どもにはキツイかもしれないが、あいにく精はただの子どもではなかった。

「ヨミ様〜、倒れたのはもう大丈夫なの」

「ん」

「頑張りすぎちゃ駄目だよ」

「ん。あ、あっち」

「私も、鬼も、狐だってヨミ様の味方だから」

 精の方を見ると彼女はじっとこちらを見ていた。俺はその頭を撫でた。

「ありがと」

「ヨミ様が、いなくなるのだけは嫌だから」

 そうならないと良いとは思う。けれど俺には未来予知なんて力はないし、いなくならない保証なんてない。

「じゃあ願ってて」

 願えば叶う、なんて神様みたいだっただろうか。精はしばらくポカンとした後、大きく頷いた。

 坂をあがりきった先の丘の上、そこには横浜外国人墓地があった。近くには洋風の綺麗な建物があり、無料で中に入れるし美しい庭園も見られる。けれど、俺たちの用事は墓地にあった。

「ねぇ、そろそろ教えてくれても良いんじゃない?」

 外国人墓地は観光地ではあるが、あまり人はいなかった。精は海を見ながらそう言った。

「全国の怪人出現場所の調査でなぜ墓地が周囲にあるか確認させたのさ」

 小町は不思議そうな顔をしていた。俺は小町の実家に行った時のことを思い出した。日暮里駅の南口には有名な墓地があった。小町の家に行くにもそこを通った。小町が魔法少女になったのも日暮里駅付近だと聞いた。そうなると必然的に墓地の近くだったことが分かる。

 また、新設された高輪ゲートウェイ駅付近でも怪人が出現しており、その近くにも墓地がある。俺が最寄りとしている駅の近くにも墓地がある。

 怪人が出現する場所、魔法少女になる場所の付近に墓地がある。これはこの前天狗に依頼された山も該当した。山の麓に小さな寺があり、山に隣接する形で墓地があった。

「怪人と墓地に密接な関係がある」

「それは分かったよ。でも、それがどうしたの?」

「小町さんは、墓地に何がいると思う?」

 精の問いに小町は霊?と言った。

「そう。霊だよ〜。そして霊はヨミ様の守護範囲外なんだ〜」

「う、ん?霊と妖怪って何が違うの?」

「精」

「うんうん!任せてよ!小町さん、霊と妖怪の違いは大きく二つ!一つは死んでること」

「死んでる?」

「そうだよ〜。ちなみに妖怪は生きてる。生きてるから触れるんだ〜」

「たしかに、幽霊は死んでるね」

「そう。そして、不思議なことができるかどうか」

「不思議なこと?」

「まあ、これは曖昧なものだと思って聞いてほしいんだけど〜」

 精はそう前置きした後、にっこりと笑った。

「妖怪は妖術ってものを使って人間を驚かしたりからかったりするの。ほら、狐とか分かりやすいんじゃない〜?」

「あ、たしかに」

「うん。だけど、霊ってそういうことはあんまりできないっぽい〜。もちろん、呪ったりする霊もいるし、小豆洗いみたいな妖術を使わないタイプもいる。だから、補足的なものだと思って〜」

 精はくるっと俺の方を向くと目を輝かせた。ちゃんと説明できたから褒めろと言いたげな顔だった。その頭をちょっと乱雑に撫でると精はちょっと痛そうにしながらも笑って受け入れた。

「じゃあ、霊はヨミと関わりがないってこと?」

「そう。特に俺は霊を避けてたから」

「ん?どうして?」

「……アイツに伝わるのを防ぐためだ」

 小町は俺の言うアイツに心当たりがないようだ。どうやら俺の悪夢の全てを覗いたわけではないようだ。

「ヨミ様……」

 精は分かっているようで目を伏せていた。

「じゃ、じゃあ、ここに長居しない方が良いんじゃ」

「いいや」

 俺は小さく笑う。長居はした方が良いのだ、今回ばかりは。

「あくまで仮説だからこそ調べている」

 次の瞬間、精めがけて細い枯れ枝が伸びた。精はそれをかわして枯れ枝が来た方向を見た。そこにいたのは精よりも大きな少女だった。

 胸元は黒いレースとグレーのシャツで隠され、腰から焦げ茶のふんわりしたスカートをはいている。靴も靴下も黒く、髪まで黒い。毛先にかけて緩くウェーブがかけられている。小さな黒薔薇が少女の右耳の上あたりで咲いている。

「私は彼葉。邪魔者を排除します」

 顔を上げた少女の綺麗な青い目にどこか見覚えがあるような気がした。

「ッ、ヨミ!」

 俺は狐面を手早く身に着けると刀を取り出した。伸びてくる枯れ枝を斬りながら小町と合流する。精は既に逃げ出していた。もちろん、俺は事前に精にそう指示していた。

 精はあまり戦力にはならない。しかし、条件さえそろえばどこにでも移動できるのが便利で重宝していた。今回はすぐに他の人に伝えるためには狐や鬼ではなく精が必要だったのだ。

「上位怪人だよ」

「えぇ……。倒さないといけないんだろ?」

「そうだね。じゃないとこっちが危ないかも」

 刀は少女を見て楽しいのか早く身体をよこせと言いたげだった。向かってくる枯れ枝を全て斬りながら隙をうかがう。皮膚の薄皮を切ることはできても、それを吸わせることは難しい。そんな時間はないのだ。

「どうするの、ヨミ」

「小町は魔法とか使えない?」

「さすがにステッキなしはできないよ」

「ステッキがあればできる?」

 小町はうん、と言った。なら。

 俺は右手で小さく陣を描いてそこから昔使っていた折れたステッキを出した。ふわふわと浮いているそれは古い物だが綺麗な状態だった。

「これ、折れてるじゃん!」

「昔使ってた。妖術の発動補助もしてたからいける」

「いけるかは分かんないよ!」

 俺は刀を左手に持ちかえて右手でステッキを持つ。

「小町。できるから」

 ほんの少しのおまじないを乗せて小町を見れば彼はため息をついてステッキを握った。

「全ては意思次第。夜見の名の下に彼の者に力を与えよ」

 小声で告げると折れたステッキが光り出し、あっという間に小町を覆う。あまり眩しさに少女が目元を腕でおおった。その時、もう嫌だ、と小さくその唇が動いた。声に乗っていないため、本当にそう言ったのかは分からない。でも。

「まさか」

 なぜ少女に見覚えがあったか。数年前、テレビに映っていた魔法少女『若葉』。彼女の目も綺麗な青で、美しい黒髪だった。そしてそれは、十五年ほど前に出会った少女と同じだった。

 しかし気付いた時にはもう遅い。小町は人間の姿を取り戻し、少女と闘っていた。あの夢で見た時と同じ格好だった。二人のそれは俺が加わらなくても互角以上の闘いだ。正直、ここまで小町と俺の妖力や妖術が親和性が高いとは思ってもいなかった。でもそれは嬉しいことだけど、今は嬉しくないことでもある。

 怪人化した人間を倒したらどうなるだろう。人間に戻るのか。それとも、死んでしまうのか。俺は、また『人間』が死ぬ原因になるのか?

 ぎゅっと胸が痛い、苦しい。怪人を倒さないといけない。けれど、少女は元魔法少女だ。このまま倒したら。

 躊躇っているとぐいっと腕が引かれた。そのひょうしに刀が手から滑り落ちて消えた。

 振り返るとそこにアイツがいた。なんでここに、死んでいるんじゃ、と色々なことが頭を駆け巡る。しかし、冷ややかな目をして俺を見るアイツを見て気付く。コイツに俺の記憶はない。なのにどうして——。

「妖怪たちの『王』だね。一緒に来てもらうよ」

 俺はアイツの手を振り払う。狙いは妖怪の『王』としてのヨミだ。魔法少女代理でもなく、人間をしていた時の『夜見』でもない。

「行かない」

「そう言われてもねぇ」

 ふう、とわざとらしくため息を吐く。アイツはそんな顔はしなかった。

「なら多少強引にでも」

「それはやめていただけると嬉しいですわ」

 ぐにょんとアイツの腕があらぬ方向に曲がった。その腕を掴む女性は、見覚えのある人だった。

「鬼」

「遅れて申し訳ありません。精から場所を聞いたものの、想定以上に遠くて」

「……いや、ありがとう」

 霊の腕を曲げるなんて聞いたことがないんだけど。というか、霊のはずなのに触れられることの方がおかしいんじゃ……。

「まあ、今日は仕方ないか。でもまた来るね」

 アイツはそう言うとスウッと消えていった。俺は思わずブルリと震えた。寒気がしたのだ。そんな俺に鬼は羽織っていたストールをかけてくれた。柔らかな手触りのそれは、ひと目で高いものだと分かる。

「さすがに受け取れない」

「少し貸すだけよ」

 ——あげるわけないじゃない、お気に入りよ。

 鬼はそう言ってくすくすと笑い出した。俺は思わず赤くなる。

「そんなことよりも、小町さんは大丈夫なの?」

「互角以上の勝負。俺の介入なしでもいけるよ」

 見れば既に怪人が地に倒れていた。その周囲には彼女のつけていた黒薔薇の花びらが散っていた。

「小町」

 声をかけると小町は振り返った。肩にかからない程度の黒髪が揺れた。

「ヨミ、大丈夫?」

「ん、小町は?」

「うん平気」

 するとぽしゅんと音がして小町がぬいぐるみ姿に戻った。折れたステッキを胸に抱き、目を丸くしている姿を見て思わず笑ってしまった。

「なんじゃい、終わってもうたか」

「無事で良かったぜ、小町さん、ヨミ様!」

 狐と野猪がふわりと地に降り立った。野猪は俺の髪を乱雑に撫でた。

「うむ?ヨミ様、その手首のアザはなんじゃ?」

 見れば右手首に黒い太陽のようなアザができていた。

「痛くないから大丈夫」

「そういう問題じゃなさそうじゃぞ」

「え」

「これはマーキングですかね」

「お、天狗!遅かったじゃねえか」

「これでも飛ばしましたよ」

「あら?精は?」

「疲れて今は水に戻ってますよ。ほら、ここに」

 天狗はそう言ってペットボトルを見せた。たしかに精だ。

「それよりマーキングって?」

「……さすがにここでは場所が悪いですね。山に招待します」

「さすがに俺たちは飛べねえよ?」

「後ろ、山でしょう。繋げますよ」

「さすがじゃのう」

 のんきな会話だ。俺は小町を抱き上げてぎゅっと抱きしめた。小さく震えていたのが伝わったのか、小町が綿だらけの手で俺の腕をぽすぽすと叩いた。

「行こう、ヨミ」

「ん……」

 歩き出そうとして視界が回る。妖力がなくなったのかもしれない。どうしたものかとぼんやりとしていたら狐が気付いて俺を抱き上げた。少女に抱き上げられるのはちょっと、絵面が良くないんだけど。

「小町さんはこっちへ」

 鬼が腕を広げて小町を手招く。俺の腕から小町がぬけだし、鬼に抱っこされた。

 ずり落ちた狐面を手で掴みながら俺は目を閉じた。ゆらゆら揺れて揺りかごのようだ。そのまま眠れるかと思ったらあっという間についた。いつの間にか鬼がストールを回収していた。もう震えていなかったからだろう。

「寝ないで聞いてくれると嬉しいんですけど」

「ごめん、天狗。巻きでお願い」

 右手首のアザを見せながら欠伸を噛み殺して言うと天狗は俺の右手をそっと取った。

「痛みがないならば、傷ではありません。マーキングといって、獲物を見分けたり居場所を把握したりするのに使います」

「ヨミ様の玉体になんてことを!」

「野猪、お前玉体なんて言葉、知ってたのか」

「いや、玉体じゃないんだけど」

 野猪も鬼も狐も天狗も俺のことをなんだと思っているんだ。俺は国宝でもなんでもないんだけど。

「どんなマーキングか分かるのかえ?」

「追跡と識別ですね」

「なんじゃ、吸収とかはないんじゃな」

 狐はちょっと残念そうに言った。吸収は妖力とか生命力とか吸うやつだ。

「というわけで、誰かしらそばにいるようにしましょう」

「うむ。これは他の妖怪にも声をかけるとするかの」

「いいかげんオンラインで族長などと繋がりません?さすがに手紙は手間ですよ」

 どんどん話が進んでいく。俺は欠伸を今度こそ噛み殺さずに目を閉じた。目尻に浮かんだ涙をそのままに身体を倒した。背中に落ち葉が当たる。そう言えば昨日は雨だった。じゃっかん背中が濡れた気がしたが風邪をひくほどではないし、と放っておいて空を見た。

 どんよりとした空に俺は若葉を重ねる。彼葉と名乗った上位怪人になった若葉は、どうなったのだろう。

「ヨミ」

「小町」

「あの怪人、黒薔薇が散って人間に戻ったよ」

「え」

「ヨミの知り合いだったんでしょ?」

 小町の顔を見れば少し切なげに目を細めていた。

「そして魔法少女でもあった」

 小町も気付いていたのか。俺の腹の上に乗って小町は小さく笑う。

「もしかしたら魔法少女たちは上位怪人になっているのかもしれないね」

「そうだな」

「助けられないかな」

「怪人としての死を迎えれば、もしくは」

「そっか」

 小町が空を見上げる。その目には何がうつっているんだろう。ふと、そんなどうでも良いことが浮かんだ。

「あの娘ね、最後にありがとうって言ったの」

「ありがとう?」

「うん。もしかしたら強制的に怪人にさせられたのかもね」

 俺は小町の頬を撫でる。さわさわと風が吹いて俺の前髪をさらって遊ぶ。灰色の空に若葉の顔が浮かんだ。その顔は初めて会った時の泣き顔でもなければ、テレビ越しに見た真剣な顔でもなかった。俺はふっと笑って、幻覚か、と呟いた。


 その後、若葉の家を精が調べたところ、若葉が家に帰り感動の再会をしていた、とのことだった。

 若葉は数年前から行方不明になり、あと二年遅ければ死亡者扱いされるところだったらしい。とても運が良い。しかし既に数人の魔法少女がその扱いになっている。今更帰ってきたところで、彼女たちに居場所はあるのだろうか。分からないが、あると信じるしかない。

 それから、俺は驚くほど表舞台から離れた。かわりに小町が魔法少女に復活して上位怪人をどんどん倒して人間に戻し始めた。

 小町が時間制限付きではあるが人間の姿を取り戻したことも大きな一歩だった。小町は定期的に家に顔を出しているらしい。家にぬいぐるみを持っていくため、母親もぬいぐるみを小町の部屋に置くようになったらしい。これは小町の安全のためでもあった。もし時間を忘れて楽しんでしまったとしても、小町の部屋であればぬいぐるみにまぎれることができるからだ。

 さて、怪人が倒されるニュースばかりが報じられ、少しずつ人々も元気を取り戻してきたように見えた。そう、表面上は。

「ねぇ、聞いた?三丁目のコンビニで強盗ですって」

「あら二丁目で放火があったって」

「向こうで交通事故よ、もう。危ない世の中ねぇ」

 あちこちで事件や事故がおこることが増えた。ちょっと気になって全国の事件や事故の件数を調べてみたところ、怪人が現れ始めてからは減少、怪人が倒されていくと増加することが分かった。

 怪人がいたことで人々は恐怖し、事件が発生しなかったのだろうか。それが消える見込みが出たことで、それまで封じ込められていた悪意が行き場を失って表面化した。けれどこれは、あくまで俺の仮説だった。根拠なんてない。だから黙っていた。

 だから、こうなったのも不可抗力だ。

 俺は目の前にいるアイツを睨みつける。アイツはにこにこと楽しそうに笑っている。いつの間にか墓場近くまで来てしまったらしく、霊のテリトリーに囚われてしまったのだ。しかもここには俺しかいない。おまけに俺は人間の姿だ。コイツの前で人間の姿は晒していない。これもマーキングの効果だろうか。

「ね、飲まないの?」

「いらない」

 目の前の机の上のお茶は不気味な紫色をしていたが、ほわほわと湯気を上げ、おまけに良い香りがする。喉だって渇いているし、お腹も空いている。けれど、この場所の食べ物を食べたらこの共同体に属することになる。

「んもう、強情だなぁ」

「強情で結構」

 俺は妖怪の『王』だ。俺の持つ権力や力は他からすれば魅力的なものだろう。だからこそ、俺は守られる存在でもあるのだが。

「僕には狙いがあるんだ」

「狙い?」

 アイツはその不思議なお茶を飲んだ後、ティーカップをソーサーの上に置いた。

「僕の親友は人間に殺されそうになった。人間はどうしてそんなことをしたと思う?」

「どうしてって……」

「親友の力を恐れたから。親友は悪いことを一つもしていないのにね」

 ゆったりと笑う様子は、どこか狂っているようだった。

「それで僕は考えたの。人間が他人に恐怖を抱くと同じことがおきる。僕の親友みたいに殺されそうになる。だったら恐怖とか悪意とかぜんぶ吸っちゃおうって」

 ——そうしたら他の人を害そうって気にはならないよね。それに、戦争もなくなる。

 無邪気に目の前のチェス盤で遊び出す。チェスの駒のことは何も分からないが、めちゃくちゃな動きをしていることは分かった。

「ねぇ、恐れられている妖怪の『王』よ」

 まっすぐ俺を見てくるアイツはやはり死んでいる。その姿は少し透けており、この前鬼が曲げた腕は元通りになっていた。

「僕の言ってることは間違っている?」

 俺はため息をつく。アイツの言うことの大半は間違ってはいないだろう。恐怖や悪意を持って人間は異物を排除する。『異物』にだって感情があるのに。

「僕は人間の恐怖や悪意を吸って怪人を作った。でも、僕の目的は違うところにあるんだ」

「さっきから狙いとか目的とか。ハッキリ言えば?」

「ふふ。そう急がないでよ。僕は殺されかけた親友を探しているんだ」

 ドクリ、と心臓が大きく脈打った。

「僕は未練ばかりで霊になったけれど親友の魂だけは転生するようにお願いしたんだ。神様は親友の魂を輪廻転生の輪から出さないって約束してくれた。だから僕は探しているの。人間の一生は儚く短いからね」

 まさか……。

「親友がはやくに死なないように医療も整った。平和な世になるように事件や事故をほとんどなくした。あとは見付けるだけなんだよ」

 知ってる。アイツの探している親友は、俺だ。でも、アイツは一度も親友の名前を言わない。記憶がないからだろう。だから、俺=親友には気付いていない。ようやく会えたね、と言うこともない。ならば。

「俺に、どうしろと?」

「僕は霊で親友は人間。触れ合えないことがとても寂しいんだ。だからね」

 ——きみの身体をちょうだい。

「……は?」

 身体。身体?

 俺はぎゅっと自身を抱きしめた。俺の身体はたしかに特殊だ。けれど、それ以上でもそれ以下でもない。

「なんで」

「だってねぇ。二千年生きる長寿な妖怪って噂だよ?おまけに身体は若いまま」

 アイツは俺の身体をじろりと見る。今は人間の姿をしているが、この前会った時は別の姿だった。あっちの姿でもたしかに若い肉体である。

「僕はなるべく長く生きたいの」

 ——親友がどこにいるか分からないからね。

 その目がほの暗く光る。黒の綺麗な目は、もう昔のようにキラキラと輝くことはない。

「だからって俺じゃなくても」

 そうだ。妖怪には鬼や狐のように長寿な種もいる。俺にこだわる理由はないはずだ。

「それがねぇ。昔試したんだけど耐えられなかったんだ」

 壊れちゃった、と不思議そうな顔をしてアイツは言う。持っていた馬のような駒がポキリとアイツの手の中で折れた。

 そう言えば、百年程前に鬼族の一人が消えたことがあった。探してもその行方は分からず、最終的に骨だけが見付かった。その鬼の母親は泣いていたが、見付けてくれたことに感謝していた。もしかして、あの行方不明に関わっていたのか?

「きみは彼らよりも丈夫だし、何より耐えられそうだ」

 半透明な手が伸びてくる。俺は怖くなって思わず近くにあったお茶をぶっかけた。紫色のよく分からない液体を浴びてアイツは予想外だったのか少しの間固まる。その隙に俺は素早く狐面を右のこめかみに当てて本来の姿に戻る。白い髪と赤黒い俺の目にアイツが小さく息を飲んだのが分かった。

「こわ、れろ!」

 思いっきり叫んで妖力を放てば空間が歪んだ。俺はそれが消える前にそこに飛び込んで霊たちの世界から脱出した。

 見慣れた景色に戻ったことに安堵し、狐面を外す。持っていたスマートフォンで鬼に連絡をすると安心したような返事が返ってきた。ただ、きっと怒ってはいるだろう。小さくため息をついた後、駆け足で家へと帰った。

 家に帰ると鬼と小町に尋問された。そこでアイツに会ったことと彼の狙いを話した。

「急にいなくなって驚いたのよ」

「ごめん」

「でも、これで目的が分かったね」

「ええ。でも、親友って……」

「死んでいるかもしれないよね」

 小町と鬼が顔を見合わせて話している。しかし、その内容がほとんど入ってこなかった。

 ビリビリと痺れる足を揉みながら俺は欠伸を噛み殺した。もう眠い。現在時刻はまだ夜に差し掛かるか差し掛からないかといった時間である。普段ならば全く眠くない時間なのに。

 こしこしと目を擦る。今すぐ寝て良いと言われたら眠れそうだ。

「ヨミ様、少し休まれては?」

 あまりにもそれを繰り返していたせいか、鬼にそう言われてしまった。俺は起きようと頬をつねったが、眠気は引かない。まぶたが今にもくっついてしまいそうだ。これなら寝た方が良さそうだ。

「……うん」

 もぞもぞとベッドに入って目を閉じる。思っていたよりもずっと疲れていたらしい。鬼と小町がなにかを話している声を聞きながら意識が落ちていった。


「ねぇ、夜見」

「なに」

「これ、あげる!」

 日見がにこにこと笑って黒い面を差し出す。窓から射し込む月光がその表面を照らした。白と赤と金の色のついたそれは、ちょっぴり目元がつり上がっていた。

「これ……」

 見覚えのある動物だった。

「これはね、狐のお面だよ」

「……知ってる」

 化けることの上手な狐。俺の、夜の友だち。

「夜見は顔を隠しておいた方が良いよ」

「どういうこと?」

 日見がそっと俺の頬を撫でる。月明かりは静かで清らかだ。日見が照らされるとどこか儚げな印象があった。ゆったりと日見は狐面の組紐を俺の後頭部で結んだ。そうすると周囲があまり見えなくなった。自分の吐いた息がこもっているのが分かった。

「顔に傷がつかないようにしないと」

「俺は日見みたいに傷がほしい」

「絶対だめ!」

 日見の右頬には古い傷痕がある。一見すれば見分けのつかないそれはほとんどの人が気付いていない。でも、俺は知っている。それは人々を守るために負ったものであることを。

「なんで」

「夜見は綺麗だから」

 月光に照らされた俺の髪は、真っ白だった。生まれつき白いこの髪は、他と違うことを強烈に印象付ける。日見のような黒髪が羨ましかった。

「その紅い目も、白い肌も、綺麗だよ」

 日焼けを知らない真っ白な肌も固まった血のような赤黒い目も、俺の嫌いなところだった。

「そんなこと言うの、日見だけ」

「他の人が言ってたら教えてね!」

 ぎゅっと俺を抱きしめる日見の腕の中、俺は狭い視界を楽しんでいた。

「良い?外さないでね」

「……分かった」

 その日から俺はずっと狐面をつけた。けれどあの『夜見』が死んだ日、俺は面をつけなかった。それは『日見』のフリをするため。日見は鳥の糞を、俺には燃えカスを髪に擦り付けて色を変えていた。そうやってお互いに化けたのだ。

 その面は数日後に狐に取りに行ってもらった時には俺のいた小屋からなくなっていた。俺は手先の器用な妖怪に頼んでそっくりな狐面を作ってもらい、こうして今まで使ってきた。

 日見が初めて俺にくれた、大切なものだから。


 目を開けると小町が抱きついていた。俺は小町に布団をかけてベッドからおりた。いつの間にか鬼は帰ったらしい。部屋は静かだった。時計は既に八時を指していた。ぐっと伸びをした。

「さて」

 怪人の親玉も分かった。その狙いも分かった。幽霊である日見を倒す方法は彼の未練をなくすこと。彼の未練は庇った親友の行方。庇った親友は俺。でも、日見は生前の記憶がほとんどない。ならば。

「思い出させるだけ」

 道は見えている。あとはどうやって思い出させるか。

「霊に詳しいのいたっけ」

 ほとんどの妖怪に会ったことがあるが、その能力を全て知っているかと問われれば違う。霊と関わりのある妖怪は幾人かいるが。

「みんな関東じゃない」

 さて、どうしたものか。とりあえず連絡だけ入れるか、とスマートフォンで複数人に連絡を入れた。そのうち返事が来るだろう。

 その時、小町にかけた布団がもぞもぞと動いた。じっと見ていると小町が身体を起こした。

「ヨミ?」

「小町」

「もう起きてたの?」

「目が覚めた」

 ベッドからおりた小町はちゃぶ台の上に乗った。

「鬼は?」

「帰ったよ。怪人の親玉については共有したよ」

「そう」

「霊をどう倒すかってところで話が止まっちゃって」

「俺に策がある」

「策?」

 俺は冷蔵庫から卵とベーコンを出しながら言った。

「朝食後で良いか」

「……お腹すいたよ」

 俺は小さく笑ってベーコンエッグサンドを作った。小町の前に出すと彼は嬉しそうに笑って食べ始めた。

「しょれえ?はくっふぇ?」

「未練をなくす」

「んぐっ。未練を?」

 小町はごくんとベーコンエッグサンドを飲み込むと首を傾げた。俺は小町用のマグカップを近付ける。

「アイツの未練は親友だ」

「その親友を捜すの?」

「それ、俺なんだ」

「……え?」

 アイツは二千年以上前に死んでいる。それは昨日話した。だから小町は驚いたのかもしれない。

 たしかに俺は見た目は若いが二千年以上生きている。顔立ちについてもあまり良い印象はない。

「ヨミ、いくつ?」

「……二千年以上は生きてる」

「二千年っ?」

 小町の声が裏返った。そんなに見えないだろうか。見た目だけで言えば狐の方が詐欺に近い。あの少女のような見た目で俺とほぼ同い年である。まあ、狐は化けることが得意で、少女の姿も化けているものだから何とも言えないが。

「というか、もしかして夢にいたのって」

「そう。俺の悪夢にいたの、アイツ」

 顔立ちとかはほとんど変わっていない。それは、俺も。

「え?じゃあ、怪人の親玉の捜し人はヨミで、目の前にいたのに気付かなかったってこと?」

「そう、なる」

 小町が驚いていた。その顔には少しの悲しみがうつっていた。俺も言ってて悲しい。俺だって顔立ちは変わらないし成長も止まっている。日見にとって見覚えのあるもののはずなのに。

「すっっごいマヌケだね」

 小町の言葉が胸に突き刺さる。

「じゃあ、あとは思い出してもらうだけなんだ」

「そう」

 綺麗に食べられたベーコンエッグサンドを見て少しだけ胸がスッキリした。

「どうやって思い出してもらうの?」

「それは」

 ピロン、と音がした。俺はスマートフォンの画面を見る。そこには連絡をした妖怪から返信がきていた。霊の知り合いはいるが、記憶喪失になった者はいないと言う。だから残念ながら力になれないとのことだった。

 俺はお礼だけ返してスマートフォンをベッドに投げた。ぽすっと音を立ててかけ布団の中に沈んだ。

「どうだったの?」

「駄目だった……」

 小町はもぞもぞとベッドに戻るとスマートフォンを持って戻ってきた。画面を見ても傷はない。

「霊の知り合いは?」

「……いない」

 ため息を吐き出す。俺だって今、自分の社交性のなさに落胆している。

「竜神とかはどう?」

「竜神……?」

 小町を見ればにこっと笑った。

「記憶喪失なら医者でしょ?」

「あ……たしかに」

 俺は身体を起こすとお皿を持ってキッチンに向かった。簡単に洗い流すとコートを羽織った。小町はいつものリュックから顔を出していた。

「行くんでしょ?」

 少しだけカーテンを開けて今日の天気を確認する。曇り。これならば大丈夫だろう。

「さてどこにいるか」

 いくつか病院はあるがそこに竜神はいないだろう。そもそも病院にいるなら苦労はしないのだ。

「もう、連絡すれば良いじゃない」

「それもそうか」

 スマートフォンという便利な機械があった。俺はスマートフォンの中身を見て竜神に連絡を取ろうとしたが、残念なことに連絡先を知らなかった。

「……捜す」

「なかったんだ?」

 小町は残念そうな顔をした。俺は小さく頷くと目を閉じて神経を集中させる。捜す範囲はとりあえず関東で良いだろう。

 ぶわりと妖力が関東をおおったのを感じた。その中の妖怪や人間の居場所が分かる。天狗は高尾山の麓、狐は箱根の温泉地、精は華厳の滝の近く。情報量が多いけれどそれを処理していくと野猪の近くに竜神がいた。そして野猪は家にいるみたいだ。

「いた」

「やった!行こ行こ!」

 俺はリュックのチャックをしめると鍵を持って家を出た。玄関の扉に鍵をかけて歩き出した、もちろん墓場を避けて。

 野猪の家に到着すると竜神はまだいた。にこにこと楽しそうな顔で笑っていた。

「やや、ヨミ様!ついさっきの、負担大きかったんじゃない?」

「平気。それより聞きたいことがある」

「良いよ!」

「記憶喪失ってどうやりゃ治る?」

 竜神の笑顔がぴしっと凍った。

「それは、誰か記憶喪失ってこと?」

「ん」

「ヨミ様……、じゃないね!小町さんでもなさそう。護衛隊も元気だったから、そうなると——」

「誰でも良いだろ、竜神」

 野猪がビリビリと震える声を出した。どうやら深入りしすぎた竜神をたしなめているようだ。

「あはは、そうだね!たしかに誰でもいいや!関係ないし?」

 竜神はそう言うと着ている白衣の裾を翻した。

「簡単に言うと治し方はまだ確立してないかな!様々な方法があるんだよ!」

「じゃあ、無理ってこと?」

「うーん、色んなきっかけで戻るからねぇ。人によりけりーって感じ!」

 竜神はぐっと伸びをするとゆっくりと欠伸をした。どうやら昨夜からここにいたらしい。眠そうな顔をしていた。

「まあ、何かあったら連絡してね!」

「連絡先知らない」

「あちゃー、そうだった!」

 竜神は白衣のポケットからサッとメモを取り出した。それを開くと番号が書かれていた。

「これでいつでも連絡できるね!」

「ん」

 スマートフォンに番号を登録するととりあえずかけてみた。すると竜神の白衣のポケットから音がした。竜神がそれを取り出すとポチッと押した。

「はーい、竜神です!」

「……繋がった」

 俺は通話を終えるとその番号を竜神の名前で登録した。

「これで大丈夫だね!それじゃ行くねー!また!」

 竜神は楽しそうに跳ねながらそう言って去っていった。それを見送った俺は野猪に家に入って良いか聞いた。野猪はどうぞ、と中に入るよう促した。

「何か見付かったか?」

「……いや」

 部屋の畳にぐでっと横になる。いつの間にかリュックから出てきた小町がその隣に寝転んだ。面白みもない天井だが俺にとっては見慣れたものだ。

「きっかけかぁ……」

「何か思い出の品とかないの?」

 俺は小さくため息をついた。たしかにあるけどオリジナルではないし、それを見た日見の反応が変わらないから効果がないだろう。

「……じゃあ打つ手なしかぁ」

 小町の声が聞こえる。俺もそう思う。どうしたら良いのか分からない。

「何も策なくても行くしかないんじゃないか?」

 近くに野猪が座る。俺はゆっくりと息を吐いた。

「たしかに」

「それに言ってみれば良いだろ?」

「え?」

「ぐちゃぐちゃ考えずにやってみりゃ良いだろ。それでどうなろうと手伝うぜ!」

 野猪はニッと笑った。その顔に悩んでいたことが馬鹿らしく感じられた。やってみて駄目だったらまた考える方が俺らしい。元々策を考えることはあまり向かないし。

「ありがと、野猪」

「おうよ」

 野猪が俺の身体を起こす。隣で寝転んでいた小町を抱き上げ、俺は小さく笑った。

「行ってくる」

「じゃあ呼んで……」

「ううん。これは僕たちの問題だから」

「巻き込めない」

 そっと野猪の頬を撫で、俺は目を合わせる。野猪は俺が何をするつもりか分かったらしい。ゆらりと白い髪が揺れた。野猪が目をそらそうとした時には既に遅く、妖術が発動した。野猪は泣きながらその場に倒れた。もう俺の声は聞こえていないだろう。

「ヨミ」

「……ああ」

 スマートフォンを野猪の胸ポケットにしまい、俺はゆっくりとそこを立ち去った。目指すは墓地。どちらに転ぼうとハッピーエンドを目指すだけだ。


 日暮里駅近くの墓地には歴史上の有名人が眠っている。広いこの場所は、他を巻き込まないという点でとても都合が良かった。

「ヨミ」

 隣には折れたステッキを持つ小町。その姿は人間のものだった。

「大丈夫」

 黒い狐面を右のこめかみあたりにつけ、後頭部で結んだ組紐が風に揺れる。冷たい風だ。既に夜の足音が近付いてきている。白い髪と血のような赤黒い目。どちらもこの夜という時間では目立つものだった。

「やあ」

 するりと一つの墓から日見が現れた。昔着ていた服を着ており、それはとても懐かしかった。

「びっくりしたよ。まさか自分から来るなんて」

「そうかな?準備万端って感じだけど」

 小町の言葉を聞いても日見は表情を変えない。あちこちで息をひそめている怪人がいることに気付いていないとでも思っているのだろうか。

「まあまあ。落ち着きなよ。僕だって闘いたくないからね」

 話が決裂したら闘わざるをえない。そのための戦力か。

「きみ」

「あ?」

「どうしてだろうね?とても懐かしいんだ」

「そりゃそうだろ」

「うん?」

 日見が首を傾げた。

「お前の探している親友は俺なんだから」

 ——なぁ、日見。

 その言葉を投げた瞬間、俺は地面に押し倒されて首を絞められていた。わずかな気道だけが確保されている現状では死なない。

「ヨミッ!」

「きみが親友?馬鹿なことを言わないで!親友は、人間だよ?」

「そうだな。俺は人間だった」

 日見が死んだ後はひどかった。村から逃げた俺は日見がいないことに絶望して死のうとした。けれどそれを引き止めたのが恩人の女性だった。

 彼女は修復不可能なまでに壊した俺の肉体とそれを止めることができなかった仲の良かった妖怪たちを合体させて今の肉体を作った。鬼や狸、精など様々な妖怪たちが俺の肉体のもとになっている。だから俺の肉体は人間ではなく妖怪へと変化し、それに合わせて俺自身も妖怪になった。

「日見。お前は本当に庇って良かった?」

「当たり前だよ!だって僕が生きるよりも親友が生きた方が」

「幸せになれる人が多いから?」

 俺が絶望した理由はそこにあった。俺と日見の認識の齟齬。それは。

「俺はあの一件で人間嫌いになった」

 日見は息を飲んだ。それまでの俺は人間を守ろうと妖怪たちを説得したりしていた。おかげで村の人間は守れていた。けれどそんな俺の頑張りを知らないからか、彼らは俺を殺そうとした。その作戦は日見の機転で回避できたが。

「親友を殺した人間を、守れるか?」

 怖かった。俺の死を願う彼らを俺は守れない。俺が死ねば良かったと何度も思った。それが彼らの望みだったから。

「でも、親友は人間が好きで」

「好き?違う。親友が好きだったから」

 好きになろうとした。好きであろうとした。けれど、元から俺を毛嫌いしている人間は俺に冷たかった。自分を冷遇する人間をどうやって好きになれば良いのだろう。

「その親友はもういない!だったら守る意味なんてないだろう……?」

 日見は泣きそうな顔をした。俺は日見の鳩尾に蹴りを入れると起き上がった。

「本当に、親友なの?」

「そう言ってるだろ」

 日見はじっと俺を見ていた。あともう一押しだろう。

「覚えてる?日見がくれただろ」

 組紐をほどいて狐面を見せる。日見がくれたものとは少し違う。けれどできる限り再現して今日まで持っていた。何度も色を塗り直した、俺の宝物。

「でもっ」

 黒い狐面は今ではどこでも入手できるポピュラーなものだから信じてはくれない。仕方なく狐面を外して顔をさらす。日見が目を丸くした。

「これで、どうだ?」

 狐面で顔を隠さないで見せれば、日見はペタペタと近付いてきてじっと俺の顔を見た。

「親友の色だ」

 ほう、と溶けるように口にした。

 この世界を探しても俺の白い髪と紅い目はなかなかない。どうやらこっちは信じてくれたようだ。

「じゃあ、きみが僕の親友なの?」

「そうだって言ってるだろ」

 日見は一度視線を落とした後、再び俺を見て笑った。憑き物が取れたような顔をしていた。

「うん、そうだね、夜見」

 俺はゆっくりと息を吐き出す。ようやく、俺の名前を呼んでくれた。妖怪の『王』ではなく、ただ人間だった時のように。ようやく認識してくれたようだった。黒いその目には光が戻っていた。俺の好きな、明るくて優しい光だった。

「ごめん……、ごめんねぇっ。僕は夜見に、生きていてほしかったの。僕の力では、人間を守れないから。夜見がみんなを守っているって知っていたから」

 ポロポロと日見が泣きながら言う。あの頃、日見は昼間、俺は夜間、人間を守っていた。人間は昼間に活動して夜には寝てしまうため、夜の仕事を知る者はほとんどいなかった。けれど日見は知ろうとしてくれた。それだけで俺がどれ程嬉しかったか。

「僕は妖怪たちを従えることはできない。夜見はそれができるのに、村の人はそんな夜見を気味が悪いと言って殺そうとした」

 だから夜見を生かすために考えたの、と日見は続ける。当時お互いに十年ほどしか生きていなかった。大人の考えの裏をかくなんて難しかった。なのに考えて実行してくれた。

 俺はそっと日見を抱きしめた。いや、彼を抱きしめるように腕を回した。そこにいるのは見えるのに、もう触れることすら叶わない。お互いに『人間』でなくなったのに。

「ありがと、日見。俺もごめん、背負わせて」

 ペロリと唇を舐めるとしょっぱかった。俺も泣いているんだ。そう認識すると呼吸が苦しくなった。

「俺のせいだ。ぜんぶ俺が悪い」

「違うよ」

 ペシッと頭を叩かれる。日見は少し笑った。

「夜見は悪くない。夜見に会えて僕は良かった。そう思ってるよ」

 ——死んだとしても、ね。

 ぽうっと日見が消えていく。日見の未練がなくなったから消えるのだろう。

「夜見。最後に会えて良かった。……怪人のこと、任せるよ」

 清々しい笑顔で日見は消えた。その場には何も残らなかった。俺はその場にしゃがみ込んだ。せめて何か、日見を思い出せるようなものがあれば。

「ヨミ」

 小町が俺の肩に手を置く。そろそろと顔を上げれば怪人たちが俺たちを囲んでいた。そこには上位怪人や中位怪人など様々な怪人がいた。怪人たちからすれば、自分たちの王が消えてしまったことになる。怒りもするか。

「これをどうにかしないとね」

 小町がステッキを構える。なんとも頼もしい顔だ。俺だけメソメソしているわけにはいかない。俺は涙を拭うと立ち上がった。

「ああ」

 狐面の組紐を後頭部で結んで唇だけをつり上げた。彼女たちを解放して、全てを終わらせよう。



 数年後。僕は水色のラインの引かれた電車に乗ってとある駅まで向かっていた。電車の窓から見る景色はちょっとだけ懐かしい。

 発車ベルに被さるように大きな音がしてビルが燃えた。けれど周囲の乗客は驚く様子を見せなかった。これが当たり前になったのだと思うと少し寂しくなった。

 六年前の今日、怪人が姿を消した。日本という小さな島国に突如として出現し、人々を襲っていた恐怖の象徴が消えたことを、国中の人が喜んだ。けれど、僕は喜べなかった。僕は人々よりもそれに詳しかったから。

 あの日、ステッキが力を失い、僕が魔法を使えなくなった時、怪人たちは確実に僕を殺そうとしていた。振り上げられた鋭い黒い爪が自身に刺さることを悟り、訪れるであろう死の恐怖にぎゅっと目をつぶった。

『そのままつぶっていて』

 優しい声がして頭をひと撫でされた。ヨミの手だった。次の瞬間、目を閉じていても分かるほどの強い光が放たれた。十分、いや、たった一分の出来事かもしれない。けれど僕には長い出来事のように感じられた。

 目を開けた時、そこにたくさんの少女たちが倒れていた。魔法少女をしていた少女たちだった。僕はゆっくりと周囲を見た。どこかにヨミがいると思った。しかしヨミはいなかった。

 探しに行こうとして立ち上がった瞬間、僕は違和感を覚えた。目線がさっきよりもちょっとだけ高かったのだ。手を見ればちゃんと人間の手になっており、服も魔法少女のものではなく、普段着に戻っていた。試しに声を出せば、聞き慣れた低い声だった。

 戻れたんだ。その瞬間は嬉しかった。ずっと人間に戻ることが目的だったから。けれど、すぐに冷静さを取り戻した。

 だってヨミがいないのだ。ずっと僕を支えてくれたヨミが。

 慌てて周囲を探した。けれどヨミはどこにもいなかった。僕はすぐにヨミの家に向かった。しかし、家があったはずの場所は廃墟になっていた。周辺の人に聞けば、十年以上前から誰も住んでいない廃墟があったらしい。最近、誰かが入り浸っていることもなく、はやく取り壊しをしてほしいと市に嘆願書を出したようだった。

 見覚えのある景色が次第にゆっくり流れていく。いよいよ降りる駅だ。

 ヨミに抱えられて何度も降りた駅でおり、何度も通った道を通れば、ヨミの家があった廃墟に辿り着いた。黄色と黒の規制線の先、ただの瓦礫の山のようになったそこは紛れもなく、ヨミと僕が半年を共にした場所だった。

「なくなっちゃった」

 寂しい。この廃墟だけがヨミと僕を繋ぐもののようだったのに。ここがなくなったら、僕は何をよすがに生きていけば良いんだろう。

 いつまでもそこに立っているわけにもいかず、強引に足を動かして駅へと向かう。その途中で下校中の中学生とすれ違った。彼らは二週間前に突然現れた家について話していた。あまり人通りのない道の奥まったところは二週間前までは廃墟だったらしい。けれど、急に家ができた。工事も何もなしで建ったので不思議だと。

 僕は思わずその場所を彼らに聞いた。今いる場所から二つ先の曲がり角を右折、その三つ先の曲がり角を斜め左へ行ってその奥。大通りから離れたところだと言う。その家の右手側には梅の木があると教えてくれた。

 教わった通りに進めば梅の木が見えてきた。その左手側を見るとたしかに家があった。普通の一軒家だった。表札はなく、呼び鈴もない。門に手をかけて中に入り、そっと玄関の扉を引いた。

 小さな音がしてゆっくりと扉が開いた。中を覗くと普通の廊下が待っていた。

「おじゃま、します」

 そろそろと進むと奥に扉があった。そっと押して開くとそこは広い部屋だった。ちゃぶ台とベッドとベッドサイドに置かれた見覚えのある時計。

「ヨミ?」

 ベッドは少し膨らんでいて、かけ布団の間から黒い髪が見えた。顔は見えなくても分かる。静かな部屋にかすかに届く呼吸音。寝る時のヨミはいつも、死んでいるようだったことを思い出した。

 おそるおそるベッドに近付くとそっとかけ布団に手をかけた。手が緊張で震える。そっとめくると柔らかな黒い髪が見えた。その下に病弱なように見える程白い肌と長いまつ毛。どのパーツも整っている。意外と大きな口も、わずかに色付いた頬も、記憶の中のヨミと同じだった。

 僕はその頬へと手を伸ばす。少し、痩せただろうか。肉付きが少し悪い。僕の手が冷たかったのかまぶたが小さく震え、ゆっくりと開いた。その色は僕たちと同じ黒だった。けれどそこに紅い色が見えた。

 何度か瞬きを繰り返し、その目に光が戻る。ゆっくりと彼はその目に僕をうつした。

「こま、ち?」

 掠れた小さな声だった。まるでずっと眠っていたかのようだ。彼はゆっくりとシーツの感触を確かめるように手を滑らせ、静かに身体を起こした。

「ヨミ……」

 その背に腕を入れて支えれば、その口から小さく感謝がもれた。あの頃は大きく強く見えたヨミは、今はひょろひょろで触れたら壊れてしまいそうなほど儚く見えた。

「……あは」

 ヨミは乾いた笑みを浮かべた。かけ布団に隠れていたヨミの服は、柔らかな水色の着物だった。その上に薄灰色の羽織りをかけており、見るからに病人だった。

「びっくりした?」

 小さく頷けばヨミはまた笑った。

「どうして……。今までどこにいたの?」

「二年、寝てた」

 その言葉に思わず息を飲んだ。みたいじゃなくて病人じゃないか。

「それで狐たちと賭けをした」

「……え?なんで?」

「娯楽」

 ヨミたちは人間の僕では想像もできないほど長生きだ。長く生きていたら娯楽がなくなるのかもしれない。

「ちなみに何で勝負しているの?」

「小町が五年以内に俺を見付けるか」

「……は?」

 信じられないものを見るような目でヨミを見てしまった。ヨミは小さく何度も頷いた。言いたいことは分かるって言いたいのだろうか。

「条件はいくつかあったけど小町はクリアだ」

 大きなため息をついてヨミは一度目を閉じる。次に目を開けた時に僕があわあわとしていると小さく手を叩いた。すると天狗が現れた。

「御用ですか」

「説明」

「はい。小町さん、お久しぶりです」

「あっ、久しぶり!」

 天狗に言われてヨミの背から腕をはなした。ヨミはゆっくりと布団に戻っていく。ふわりとかけ布団がかけられ、ヨミは目を閉じた。

「お昼寝ですね」

「ん」

「一時間したら起こします」

「ん」

 天狗はかけ布団をぽふぽふと叩いた後、静かな呼吸音が聞こえてくると立ち上がった。

「こちらへ」

 天狗に案内された部屋に入ると丸い机と椅子が置かれていた。椅子に座ると天狗はにっこりと優しく笑った。

「本当に、大きくなられましたね」

「あ、はい。無事戻れたし」

「ええ。知ってます。それで、ええと、どこから聞きたいですか?」

「……ぜんぶ」

 天狗は指先で机を小さく叩いた。あっという間にお茶とお菓子が現れた。丸いクッキーだった。

「ぜんぶ。まあ、小町さんは知る権利がありますしね。えっと、六年前のあの日、ヨミ様は小町さんを守るために妖術を使いました。そのせいで妖力をほとんど使い果たしたんです。我ら護衛隊はすぐにその場に駆け付け、ぐったりしたヨミ様を保護しました」

 天狗はお茶を飲んだ。カップがソーサーに戻るのを僕はじっと待っていた。

「ヨミ様は野猪と竜神によって二年後の夏に目覚めました。それからはリハビリでした。なんとか歩ける程になった頃には半年が経っていました」

 僕はお茶を飲んだ。少し苦いがクッキーに合わせたのだろう。

「リハビリ後は?」

「全国を回っていました。怪人を倒すのに様々な妖怪が力を貸してくれたのでお礼参りですね」

 あちこちを動き回るヨミを想像して少し笑ってしまった。天狗もくすりと笑っていた。

「一年前にヨミ様は関東に戻ってきました。けれどお疲れのようでしたので半年程ひきこもっておられました」

「いつ賭けを始めたの?」

「おや、賭けのことまで話されたのですね。ええ、賭けは半年前に始めました。ルールはいくつかありますが、その一つに最低一ヶ月は一ヶ所に留まるというのがあります」

「じゃあ、ここで六ヶ所目ってこと?」

「ええ」

 天狗は楽しそうにクッキーを食べた。賭けに勝ったこともあるだろう。

「勝ったら何かもらえるの?」

「はい。ヨミ様がお願いを叶えてくれるのです」

「なんでも?」

「条件はいくつかありますが」

「天狗は何をお願いするの?」

 クッキーへと手を伸ばしてそれを口に入れる。サクッとした食感とバターの香りが口いっぱいに広がった。

「小町さんをそばに置くこと」

「え」

 天狗はにっこりと笑ったままだった。どうやら本気のようだ。

「ヨミ様はずっと寂しそうだったのです。けれど、小町さんと出会ってからは楽しそうでした。なのでそばにいてもらいたいのです」

「でも、僕は人間で」

「いいえ。貴方は人間ではないですよ」

 はく、と息が止まった。天狗はお茶を優雅に飲んだ。

「どういうこと?」

「魔法少女について調べました。多くの魔法少女はサポート役の力で魔法を使っていました。しかし、小町さんは違います」

 天狗は折れたステッキを出した。あの頃、僕が使っていたものだった。

「小町さん自身に魔力があり魔法が使えます。貴方は正真正銘の魔法使いなのです」

 僕は自分の両手を見た。いたって普通の手だ。天狗はそうっとその手を自身の手でおおった。

「小町さん。脅すわけではないですが、この国にも人身売買はあります。もし小町さんがそういう奴らに目を付けられたら無事でいることは難しいでしょう」

 僕の手が小さく震える。天狗はきゅっと優しく握ってくれた。

「家族を巻き込みたくないですよね」

「でも、そういう奴らに見付かるとは」

「見付からない可能性は低いよ」

 パッと振り返るとそこに鬼がいた。相変わらず綺麗な服を着ていた。

「魔法少女については調べれば分かることだし、小町さんに辿り着くのも時間の問題でしょうね」

「そんな」

 スウッと血の気が引く。

「ヨミ様のそばにいれば解決しますよ。ヨミ様は基本的に外出しないですし、一人で複数人を相手にすることもできますし」

「あら天狗。天狗の願いは小町さんなのね」

「ええ。鬼は?」

「私?私はヨミ様の健康よ」

 くすくすと鬼は笑う。いつの間にか彼女も椅子に座っていた。

「ヨミ様ったら放っておいたら何もしないもの!だからそばで監視する人が必要でしょう?」

「あぁ、小町さんか」

「ええ」

「精とかはどうなんでしょうね?」

「小町さんをそばに置くようにって」

「……なんですか、みんな考えることは一緒ですね」

「ええ。だってあの日々は楽しかったもの」

 鬼がクッキーに手を伸ばす。

「ねぇ、小町さん。ヨミ様のためにそばにいてくれる?」

「……ヨミが、望むなら」

 しぼり出すようにそう言った。鬼はパアッと顔を輝かせ天狗も嬉しそうな顔をした。

「ぜったいに大丈夫よ!」

「ええ」

 僕はお茶を飲んで曖昧に笑うしかできなかった。ちょうどその時、時計が鳴って一時間が経過した。天狗が立ち上がった。

 部屋に戻るとヨミはもう起きていた。眠そうな目はしていたが、こちらをしっかりと見た。

「おはようございます、ヨミ様」

「うん」

「幻術をといて行きましょう」

「そ」

 ベッドから立ち上がったヨミはすたすたと歩いて廊下をぬける。玄関の扉を開けると外に出た。天狗の後ろを歩いていた僕が外に出るとヨミが門に手をかけた。するとあっという間にそこがただの廃墟に戻った。夕陽を浴びてどこか淋しげだった。

「小町」

 ぼんやりとそれを見ていた僕をヨミが呼ぶ。ヨミを見れば、いつの間にか髪は白く、目は紅くなっていた。相変わらずヨミは綺麗だ。あの黒の狐面で顔を隠していたのも納得だ。ふわりと綺麗に、ヨミは笑った。

「俺を救ってくれてありがとう」

 それは僕の言葉だよ。

 とっさにその言葉を飲み込んだ。どんな言葉を投げてもきっと僕の感謝を伝えるには足りない気がした。代わりにぎゅっとヨミの手を握った。

 ヨミは少しだけ戸惑ったような顔をした。僕がどうしてヨミの手を握ったのか分からないようだ。けれどそれで良い。そういうちょっと鈍感なところがヨミらしいから。

「ほら、行きますよ」

 鬼がにっこりと笑う。その隣にいた天狗もにこやかな顔をしていた。

「うん」


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聖徳大学 文芸研究同好会

聖徳大学 文芸研究同好会です。 当ブログでは、同好会の活動報告や部員の何気ない呟きを発信します。